経済参謀

個人や私企業らの各々の個人経済系とは、
異なり、 通貨ら等の効果らが、
自己循環する、 国民経済系などの、天下経済系への体系的な認識の構築を通しても、
日本の主権者である、 日本国内らに在るべき、福利らの拡充を成す事に必要な、
情報事項らを提供する

主権者; 世主 セス 、ら❗ ; 松により藤❗ ; 道義公方❗ 。 。 解放を急ぐべき、シナによる、桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗

☆ 松により藤❗ ; 道義公方❗ ;


◆ その当時の様らを息遣いする日記ら❗ 。

解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗

19/ 8/4 16:8 ;

1441年、 の、 嘉吉の変 、 での、

公方への暗殺の前後 :

傭兵らから常備軍の都市国家ら 26 ;

2015/ 8/23 23:55:57 ;


根途記事➕論評群❗http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html : :

※ 御内書 ごないしょ :

…将軍が発給する、私文書。


やがて、時代が下ると、

御教書 みぎょうしょ ;

≒ 公的な文書 、に取って代わる様になる。


これらの書状を、将軍から下される事は、

武士としては、 喜ばしい事、この上ない。


すると、 その義教将軍の厚意に、

畠山満家氏は、

「 ありがてぇ。 かたじけねぇ。 とんでもねぇ 」 ;

「 種々 クサグサ 、 畏申入也 」

、 と、感謝しきり。


それを聞いて、 さらに感極まった、

義教将軍は、

「 ぬおー、もう、これ、あげる❗。

この太刀をあげる❗、 取っとけ❗ 」 ;

「 此事 このこと 、 尚々 なおなお 、 御感之餘 ギョカンのアマリ 、

御剣・御腰物、 被下畠山也 はたけやまへ 下されるなり 」

、 と、御剣を下賜した。

:

そうしている間にも、 一色義貫どんの、

「 俺が、 先頭だあー❗ 」 、 という、

一途な理不尽さは、勢いを増していく。


山名時煕氏が、 再三に、説得すると、

「 判った。 なら、 " 上意に従ってくれて、有難う " って、

御書をくれ。 もしくは、謁見して、 口頭でも、OK❗ 」 ;

「 今度 こたび 、 以別儀 べつぎをもって、

罷随仰條 おおせのじょう ;

≒ おっしゃっている通りの事ら 、

尤 モットモ 、 以神妙之由 しんみょうのよしをもって 、

被下御書歟 ごしょを下されるか 、

不爾は、 被召御前 ごぜんにめされ 」

これを通したら、 さすがに、

足利幕府内の規律の崩壊の始まり、

にも、 成り兼ねないので、

義教将軍は、 承引をしなかった。


右大将での拝賀、への、2日前。

義教将軍の所へ参じた、

満済准后 ジュゴウ 、 と、山名時煕氏。

「 一色の事なのですが、 その、

…お腹とか、頭とかが、痛くて、

明後日は、欠席だそうです 」 。

「 そうか… 」 ;

「 雖然所労更発之間 ;

≒ 病が更に出た為に 、 供奉 ぐぶ

難叶由 かないがたき・よし 申上者、 不被及力 」

7月25日の、 右大将拝賀の儀は、

公武共に、 滞りなく進み、ひと先ず、

めでたし、だったが、

一色義貫氏への処分が問題となる。


仮病での、 ボイコットですからね。


√ 義教将軍から相談された、

山名氏と畠山氏の意見は、

暫被止出仕 しばし、 出仕をとめられ 、

追所領一ニヶ所も、 可被借召歟 かりめさるべきか 」 。


一方…、

畠山満家氏 :

「 お諫めになるのは、尤もですが、

お許し頂けると、 私としても、 忝 カタジケナ い 、です 」 ;

「 御切諫 (※) 事は、 雖尤候 モットモにそうろえども 、

可被閣是非條、 於身可畏入、云々 」

、 って、 ええー?❗、 またかよ❗ 、

喧嘩を売られたのに、 逆に、

一色氏の為に許しを請うてるよ❗ :


※ 切諫 せっかん 、…強く諫めること。

「 折檻 」、も、元は、

" 口頭で厳しく諫める " 、という、

意味の、 故事成語です。


現在の様に、" 子供に、体罰を伴う、 叱責を加える "

、 という、意味ではないので、注意です。


義教将軍が考えていたのは、

幕府の、ひいては、天下の秩序 、です。


「 あの自分勝手な振る舞いに、

お咎めが、無しでは、 関東や九州へも、

示しがつかないんじゃないかな? 」 ;

「 今度 こたびの 振舞、 違背上意 じょうい・に・いはいし、

任雅意 がい・に・にんじた 條、 無御切諫 おんせっかんなき

、は、

関東、鎮西へ聞も不可然由 しかるべからざるよし 。

被思召如何 いかが・おぼしめされ 」 。


「 公方の威厳 」や、「 武家の家格 」

、 というのは、 別に、下を見下して、

気持ち良くなりたいが為の物ではなく、

社会の秩序を保つ為に必要な、

『 礼節 』 、 です。


上に立つ者は、畠山満家氏の様に、

謙虚でなければならない。

傲慢な者は、上に立つ器に非ずです。


畠山満家氏は、

「 お咎めなしでも、後難を残す事も、

公方様の威勢が、 失われる事も、ありません 」

、と、 やはり、

一色義貫氏の為に、赦免を請う。


そろそろ、一色氏にも、

この気持ちが、届いてきたでしょうか? 、

彼は、 昼は、資財を、他所へ避難させ、

夜は、甲冑を装備して、

「 いつでも来いやー❗ 、 迎え討ってくれるわ❗、 切腹上等❗ ;

「 被下打手 ウッテをくだされる 、 を一箭仕 イッセン つかまつり 、

可切腹由 セップク すべきよし 、 其沙汰 」 :


…しかし、 畠山満家氏の器のでかさは、

その斜め上を行った

彼は、 斯波、細川、山名、赤松氏

、 などの、 大名らへ呼びかけ、

「 どーか、 一色をお許し下さい。

この通りです。 奴は、 ちょっと、

未熟なだけなんです。 お願い❗、 本当に❗ 」 、 と、

大名らの一同による嘆願、 という、

奇策に出て、 義教将軍も、

その誠意を受け入れた。

めでたし、めでたし❗。


「 堂々と、雅意 ; 我意 ; 、を主張して、

憚 ハバカ らない、 一色義貫氏に対して、 癇癪を起こす事なく、

大名らに意見を徴しながら、

秩序を第一に考える、 義教将軍の正しさは、 すごい❗ 」

、 …って、良い話で、終わらせたいが、


「 畠山の後ろとか、ねーよ❗、 絶対、ねぇ❗ 」

、と、 挑発されているにも関わらず、

最後まで、一色を庇い続けた、

畠山満家氏の仁徳に、

全てを持ってかれた感じ…。 :


これも、 本来的には、幕府の為、

公方の為であるのでしょうが、

それにしても、徳たけぇww 。


時系列的には、 「 一色の事 」→

「 上御所 」→ 「 延暦寺 」→

「 鎌倉の永享の乱・結城合戦 」

、 の順です。


冒頭で、 触れた、

「 第6代の征夷大将軍の政道、への、

誠意を誓う、大名たちと、

それに歓喜する義教将軍 」、 の話は、

「 一色 」、と、「 上御所 」、 との、

間の事で、

重鎮たちが、 相次いで、 世を去るのは、

「 延暦寺 」 、 の前後です。


√ 「 恐怖の暴君 」 、 なんて、

イメージに邪魔されて、

見て見ぬ振りをされているが、

義教将軍、 の、

" 良い人な逸話 " 、 は、 歴代将軍でも、

トップ・レベルか、と思う。


例えば、 畠山満家氏が亡くなった時の、

落胆ぶりや ;

「 御力落之由 おちからをおとすのよし 、 種々仰 くさぐさ おおせ 、云々 」 :

『 満済准后日記 』、の、 永享5年9月19日:


満済准后の死を深く悲しむ様子は、

≒ 「 公方 クボウ 、殊御周章 ことに、 ごしゅうしょう、云々 」、

「 以外、御悲歎、 云々 」、

『 看聞日記 』 、の、 永享7年 、 の、

6月13日、 15日 。


畠山満家氏と、満済師は、

諫めの言葉を含めた、助言らで、

義教将軍を支え続け、 

しかも、

道理と人徳を身に付けた人物でしたから、

正しい政道を目指す、義教将軍が、

彼らの死を殊更 コトサラ 、

嘆き悲しんだ気持ちも、よく判る。


…というか、 道義のある、

正しい人を重用する、 暴君なんて、

聞いた事が、 ありませんw。


ホント、 義教将軍への評価は、

矛盾と誤認が、多過ぎます。 

知れば知るほど、 ハチャメチャです。


特に、 前年から、体調を崩しがちだった、

満済准后の事は、 とても心配だった様で、

自宅で、病床に伏す満済師の所へ、

大名たちを伴って、自ら赴いたり、


※ 当時、 征夷大将軍が、

自邸に訪れる事は、 『 御成 』 ;

≒ おなり ; 、 といって、

非常に光栄な事でした。


ただし、 基本的には、

酒宴の席を設けて、大々的に接待する、

儀礼的要素が強い物で、 私的な来訪は、

" 特例 " 、 といえます。


例えば、 義教将軍から、

病への見舞いの来訪を受けた、

畠山満慶氏 ;

≒ 能登の畠山、満家氏の弟 ;

、は、

こんな感想を…

≒ 「 生前、面目、畏入候 ;

≒ 生前に、この様な栄誉、 本当に畏れ多い 」 ;

『 満済准后日記 』、の、

永享4年6月24日。


病床の満済師へ、医師を遣わせたり、

諸社 ≒ 諸々の神社 、へ、

神馬を寄進して、 祈祷をさせたり、

病状が回復すれば、医師へ、

太刀と馬を送ったりと、凄いです。


もっと、凄いのは、

その義教将軍の懇意に対する、

満済師の喜びようです。


『 満済准后日記 』 、 は、

政務に関する真面目な記述らが多く、

自身の感想は、あっても、

ごく控え目なのです

が、

その中にあって、 異彩を放っています。


例えば…、

「 予、落涙外、無他事 ;

≒ ただ、ひたすら、 涙が流れる、ばかり 」

「 …眉目過分至、真実真実、

言詞難及 およびがたし、 無身所置 ;

身の置き所なし、 云々 うんぬん 」

…満済准后 ジュゴウ の病、への、

平癒の祈祷の為に、 義教将軍が、

諸社に、神馬を寄進した事を聞いて…、

身に過ぎる栄誉、 本当に本当に、

言葉にならない、 身の置き所がない。


「 公方様渡御、 此大雨中、長途遙々、

光儀、 時宜趣、言詞更難覃、

眉目過分此事此事、 只落涙千行、

顔色體聊被御覧 ごらんになられ、

直御悦喜之由 ただ、ごえっきのよし 、

再三被仰 おおせられ 、 忝 カタジケナク 、

不知手足舞踏 てあしが舞い、

踏む所を、知らず 」 ;

この大雨の中、 遠路遙々、 公方様が、

見舞いにいらして下さった。 その御心 ;

≒ の、あり難さ 、 は、 とても、

言葉では、 表現できない。

過ぎたる栄誉とは、正に、この事、

涙が溢れて止まらない。

私の姿を御覧になられて、その喜びを、

何度も仰せられる。

有難くて有難くて、舞い上がる思いだ…


『 満済准后日記 』、 の、

永享6年の3月18日、22日、4月15日、

28日、6月3日、など。 :


極めつけは、 永享7年の、

3月27日の出来事。

諸寺社を参詣しながら、 再び、

体調を崩した、 満済師の病、への、

平癒の祈願を続ける、義教将軍。


六条八幡宮を訪れ、さて、

立ち去ろうとした、その時に、

浄衣へ、 蜘蛛が降りてきたのを、

「 満済師が、直ぐにも回復する吉兆 」

、 だとばかりに思って、 喜びます。 :


※ 浄衣 じょうえ …☆

神事や、法会 ホウエ 等の際に著る、

白い狩衣などの、清浄な装束。


その話を聞いた病床の満済師も、

「 落涙千万行ばかり也 」

それから、 2か月半後に、

満済師は、 帰らぬ人となる。

義教将軍の落胆は、

どれ程だったでしょう。


【 人々の命と健康性とを成し続ける、 のに必要な、

代謝ら、の、各々を、

合体して、 成し合う、

代謝員ら、である、

酵素 コウソ 、 らにも成る、

タンパク質 、 ら、と、

補酵素 ホコウソ 、な、 ビタミン 、 らや、

補因子 、な、 ミネラル 、 らへの、

日頃の、 摂取らにおいて、

そうした、 あるべき、 代謝ら、の、 どれ彼を成す、

事へ向いてある、

あり得る、合体の度合い、 を、 一定以上に成す事を、

必要な事として、 成される、

代謝のどれ彼な働きを成す、事へ対して、

代謝員ら、の、 合体しおおせ得る度合いら、

を、 より、 欠いてしまう、

質と量で、

あるべき、代謝員らへの摂取ら、

を、 一定な度合い以上に、

成し付ける、 事が

人々が、 その、あり得る、

健康性の度合いや、 命を失う、

事への、 より、 最も、

おおもとな、 要因性を成す、

事なので、


深傷 フカデ 、 を負う、などして、

あるべき、代謝ら、の、 成り立ち、と、

それらの、 互いへの、連携性なり、

循環性なり、 が、

差し止められてられたり、


ウィルス 、らなどにより、

その、 健全な場合の、

遺伝子ら、の、 特定の、

タンパク質ら、を、 一定の順番で、

それらの宿り居る細胞の内側の物らへ、

作らしめる

、 毎日の、

随時な、 日常の仕事ら、が、

おかしくされる以上の列辺 レベ ;

( レベル ) 、 で、

遺伝子らへの改変が、

成されてしまったり、 してある、

場合らを例外として、


そうした、 合体して、

代謝らのどれ彼を個別に成す、

代謝員らの、 その、 あり得る

合体性と代謝性との重なり合う、

度合い、 である、

代謝ごとに、 差、の、あり得る、

『 確率的 親和力 』 、 らでの、

不足分ら、を、

より、 埋め余し得る❗

、 以上の列辺で

タンパク質らのどれ彼らや、

ビタミンら、か、 ミネラルら、の、

どれ彼ら、への、 より、

余計な、 摂取ら、を、 成し付け得て、

余計な、 糖質への摂取ら、を、

より、 差し控え得れば

より、 通例な、 遺伝性らへの、

主である人々は

当然に、 万病を、

未然に、差し止め続け得たり

病ら、から、 健康性を、

すっかり、 回復し得たりする、

事に成る。


また、 タンパク質らのどれ彼、への、

構成材、な、 アミノ酸 、などへの、

代謝ら、から、

『 ブドウ糖 』、 を作り出す、

『 糖 新生 』、ら、な、

代謝ら、を、成す、事が、

より、 できなかったり

脂肪酸 、への、 代謝ら、から、

『 脳の細胞らへの栄養分にも成る 』、

『 ケトン体 』、 たちを作り出す、

代謝ら、を、 成す、事が、

より、 できなかったり、する

日本人たちにおいて、

60数人に、 何人かの割合で、居る、

特殊な、 遺伝性らへの、主である人々においては

その体の外部から、

『 ブドウ糖 』、 や、

『 ブドウ糖 』、 に成る、 炭水化物な、 糖質ら、

を、 一定の度合いで、

摂取し続けるべき、 必要性がある❗

、が

そうした人々においても、

その、 必要分らをこえての、

糖質への摂取は、

より、 有害性らを成す、物であり、


糖質への摂取では、

あり得る、 その健康性を成す事へ向けて、

制限が成されるべき、必要性がある❗ 。


また、

やたらと、 甘い物らを、飲み食いし続けたがる、

あり得る、 『 異食い性の欲求性 』、 らは

あるべき、代謝員ら、への、必要分らを満たし得た、

摂取らが、成される事で

より、 その精神系に、湧き立たなくなる❗

、 ので

必要な、 代謝員ら、を、必要な度合い以上で、摂取し得る限りは、

甘味らが、 欲しくて、しょうがない

、 といった、欲念らに、 悩まされる、 事態らを、

その主らが、 自らに、成す事は、 より、 無くなる❗ 。


逆に、 より、 必要性の、無い、

糖質ら、への、 欲求性らは、

より、 必要性が、 無い❗

、がゆえに、

より、 満たされ得ない❗

、 性質のものであり、


別の何彼らによって、

差し止められない限りは

やたらと、甘い物らを飲み食いする、

事のそれ自体は、

その度合いを、いくら、積み重ねても、

それを、差し止め得る、

要因性を、 より、 成さない❗ 。


ただし、

金属な、 コバルト Co 、

などから、 ビタミン B12

、 を、 作り出して、

赤血球らを成す、事、 などを、間接的に、 助けたり

その他の、 ビタミンらを成したり、

過剰な、免疫性らを、差し止める、

物質を成したり、して

その主な人々の、 あり得る、 健康性を、

より、 余計に、 成しもする、

腸内細菌たち、 への、

栄養分に成る❗

、 一方で

人の体の本当の内側へは、

より、 吸収される、事が、 無く、

より、 その主の血糖値を、

上げる、 事も、無い❗

『 食物繊維、 な、 糖質 』

、らは

より、 自他の、 あり得る、

健康性を成すべき、 人々が、

自ら、進んで、 摂取し続けるべき、

筋合いを自らに成してある❗ 】


・・まだまだ、見落とされている、

逸話らは、 ある、と思います。

皆さんも、是非、探してみて下さい。


真名文 ;

≒ 漢文 、の日記は、

取っ付き難いですが、

注釈の付いた物もあるし、


√ 歴史学の書籍や、『 史料総覧 』

、 HPのデータベースも利用出来ます ;

、 を参考にしながらだと、 :

その人の持っている、価値観、

・先入観により、

史料の記述らへの解釈は、

だいぶに、 違ってくるので、

やはり、自分の目で確かめる事が、

一番です。


何せ、相手は、中世の文章。

基本姿勢は、 「 真名 マナ 文は、

読むんじゃない❗、 感じるんだ❗ 」 。 :


何より、 日記の全体を見通す、

事の、 最大のメリットは、

その行間から、当時の世界を、

『 履在 リア 』 ≒ 『 リアル 』 、 に、

体感できる事です。


抜き出された一文では、 決して、

得る事の出来ない物であり、それは、

遥かに、 真実に近い。 これは、

本当に、読んだ人じゃないと、

解らない感覚❗。


日記らと比べると、 教科書や概説書、

というのは、 所詮は、" 止まった歴史 " 。


初めて、日記を、通しで読んだら、

きっと、 「 ああ、歴史って、 生きている人々の物なんだ 」

、 と、実感できる筈。 :

何百年も前の、 日記らが、

残されているなんて、奇跡にも近い、

と、 思いませんか? 。


本来なら、最大限の敬意と誇りをもって、

守り伝えていくべき、貴重な宝らなのに

例えば、

「 万人 恐怖 」、と言う、

たった、一言だけを、

文脈から、切り離し、

本来の意味から外れた、

印象を植えつける何て、

歴史への愚弄にも近い、

もったい無い行為です。


この国の宝、 この国の歴史、

それらに向き合う時、私たちは、

知性と品性を失ってはならない、

と、 思います。


義教将軍への悪評の出典として、

曲解されている、『 看聞日記 』、も、

一部の扇情的な言葉だけが、

一人歩きをし、あたかも、それが、

全体であるかの様に誤解されているのは、

悲劇だ。 :


『 室町殿 』、 の糸桜 ;

≒ しだれ桜 、 が満開の頃に、

義教将軍が、 貞成親王を招待した日の、

酒宴と和歌会なんて、 良い逸話だ。


「 一会之儀、 如法御快然也、

不存寄参、 祝着、 活計、 千万也 」、

『 看聞日記 』、の、永享8年の3月9日

この会合では、 公方も、 実に、

ご機嫌で、 突然の招きだったが、

本当に、にぎやかで、楽しい物だった。


※ この様に、 直に、

義教将軍と関わった逸話らでは、

とても好意的な感想が記されているのが、

『 看聞日記 』、の、意外な?特徴です。



☆ 道義公方❗ ; 松により藤❗ ;

19/ 8/5 1:55 ;

1441年の、 嘉吉の変の前後:

傭兵らから常備軍の都市国家ら 32 ;

道義を成す室町殿ら

2015/ 8/24 10:54:49 ;


貞成親王は、 皇族員であるがゆえに、

そう簡単に、自由な外出が出来た訳ではなく、

その上、

後花園天皇への実父だが、 自らは、

即位をしていない 、という立場は、

「 先例 」、らを重視する、 当時においては、

制限の多い、非常に難しい立場だったし、

その様な環境にあって、 厳し過ぎる、

と、

( より、 自らの社会的な役割や職務などを、

ぞんざいに、 成し行うに至らしめもする、

要因性を成す形で、

ヒトの命や人格的な尊厳性などを、

相応に、 どうでもいい物として、

素で感じ、 思い扱い宛てておりつつ、

その自らの知的共感性の欠け様ら、への、

自覚認識の系らを構築する、

能力性をも欠いている側の者らには、

より、そう感じられ得べくもある ) 、


義教将軍からの処分に、 毎度に、

泣かされる公家らの嘆きを、

人伝に聞いていたら、

大きな懸念を抱くのも、解ります。 :


しかし、 その、 「 恐怖 」 、 に、

「 薄氷を踏む時節 」 、なる言葉らが、

どれ程の意味で、使われているのか、

それが、筆者個人の見解なのか、

それは、 義教将軍へだけの物として、限られた事なのか、


※ 実は、 割と穏健で、

公武に人気の有った、 第4代の、

義持将軍にも、この表現が使われている 。

:

そういった物を、

その日記の全体を見渡したり、

同じ時期の他の日記らと比較する、 といった、

大局的見地から検討する事こそ、

歴史研究の醍醐味であり、

そうして、真実相を導き出す過程に、

歴史を学ぶ、最大の楽しさがある。


例えば、

短気、と言われる義教将軍だが、

上御所 ≒ まだ、未完成 、

へ、 移ったばかりの頃に、 造作奉行が、

「 以外 無沙汰 緩怠 」 ;

めっちゃ、 サボりまくり ;

、で、

注意しても、聞かない…。


処罰するべきだが、

新居へ越してきたばかりだから、

「 御堪忍 」 ;

≒ ぐっと我慢 ; 、 した逸話もある。


『 満済准后日記 』 、の、

永享4年 ≒ 1432年 、の、

2月29日。 :


※ その翌年に、 僻事 ヒガゴト

、 のあった、 5人の造作奉行らに、

ぶち切れては、いる。


『 看聞 日記 』、 の、 永享5年、の、

10月20日。 :


特殊な処分の事例らに関して、

その処罰が、過剰か?、妥当か?

、 を判断するなら、

" 当時の社会通念 " 、に照らして、

慎重に行うべきで、 勝手に、

現代の価値観で、 推し量ったら、それは、

真実を探る、 「 研究 」、 ではなく、

主観的な、 「 感想 」、 でしかない。


@ 永享 えいきょう 、は、

日本の元号らの一つ。

正長 、の後で、 嘉吉の、前。 :

1429年9月5日から、

1441年2月17日まで、の期間を指す。


この時代の陛下は、 後花園天皇。

室町幕府の将軍は、 足利義教将軍。 :


正長2年、の、 9月5日 ;

≒ ユリウス暦の、 1429年の10月3日 ;

に、

後花園天皇の代始めにより、改元し、

永享13年の2月17日 ;

≒ 1441年の3月10日 ;

に、

嘉吉へ改元した。


※ 例えば、

" 儀式の場 " 、 で、

公方の義教氏を、 『 一咲 』 ;

≒ 『 一笑 』 、して、

所領を没収された公家について

現代の考察では、

「 ほんのちょっと微笑んだだけで、

( 何の問題性も、無い筈なのに ) 、

処罰された 」

、 と、

" 一笑 " 、 の意味合いも 、

" 状況 " 、も、 考慮せずに、

かなり、バイアスのかかった、

解釈がされている事があるが

これについて、

貞成親王は、

「 誠、咲申者、 尾篭、不思儀也 」 ;

笑うとは、無礼だ。 訳が、解らない。


『 看聞 日記 』、 の、 永享2年 ;

≒ 1429年 、の、11月9日

、 と、 述べています。 :

:

侍女の密通 ;

≒ 姦通 、に対する、 罰が、

男は、切腹で、 女は、流刑ってのは、

時代を考えれば、 異常とまでは、言えないでしょう。


御所に祗候している女性ですからね。

風紀の乱れは、大問題です。


※ 祗候 しこう 、

…傍に仕える事 。


そんな、 密通への厳罰の記事の一つ、

『 看聞 日記 』、 の、永享9年 ;

≒ 1439年 、の、

11月6日の条 クダリ 、では、

貞成親王も、 「 猥雑言語道断也 」

、 と、感想を述べているが、

この日の日記には、 不思議な記述があり、


「 千本殿、比丘尼、 伊勢参宮下向、

為狂気御所へ参、種々事共託宣、

所詮、悪将軍之由申云々、

不可思儀事、風聞、莫言莫言 」 。


狂った尼が、御所に参じて、

「 お告げじゃー❗、 悪将軍❗ 」

、 と、託宣した、とかいう噂 ウワサ 、だ。

内緒、内緒、 …って、

「 悪将軍 」って、 こんなオチだった。


「 悪将軍 」、と在り、 流言飛語により、

反体制な運動らが喚起され、 誘発されて、

万人が死ぬ羽目にも成り得る、

事態を、 未然に防ぐべく、

万人の不安を煽る発言を、

記録にも残り得る所々で、

誰かの工作員らしく、

していた人を処刑して、

「 万人 恐怖 」 、と在り、


手抜きクズの公家らと役人らが、

「 薄氷を踏む思いをする 」

、と在る、だけで

室町殿の下で、

秩序の中で、安寧を楽しむべき、

天下の万人へ、 より、秩序立った、

天下の状況を提供しようとした、

義教将軍が、 公方 クボウ 、として、

相応しい事らを、ただ、ひたすら、

成し行っていた、 実態らしか、

当時の資料らの記述らは、

反映し得てはいない。


「 実は、 義教将軍は、全然、恐くなく、優しかった❗ 」

、 なんて言うつもりは、微塵も、無い。


めっちゃ厳しかったのは、事実でしょう。

それでこそ、義教将軍です。


しかし、 このイレギュラーな託宣での、

「 悪将軍 」、なる言葉 ;

≒ しかも、 不確かな風聞 ;

、 を、あたかも、 貞成親王の発言の様に、

扱って観せびらかす行為ら、 等は、

フェアなやり方では、無い❗ 。


古来、 「 託宣 」 、といえば、

八幡大菩薩だったので、

八幡宮の神の前での、

改まった神託だったのなら、

問題な事になったかも知れない、

かつての、「 道鏡事件 」、みたいに。


道鏡師は、 " 道鏡師の失脚 " 、を狙う、

政敵に嵌められかけた、だけっぽいけど。


厳罰の事例らのみを、ひたすら列挙し、

処罰の必要性も、 その真意も、

探究することを無しに、

憶測をすら交えて、 一向 ヒタムキ に、

悪し様に曲解する行為には、 もはや、

歴史学に対する、良心が感じられません。


それで描いた人物像に、どれほど、

真実が反映されている、と言えるのか。


厳罰の事例らと、そうではない事例ら

、 との、 整合性を取りつつ、

マクロな視点で、 私曲を交えず、

最も、筋の通る仮説を模索していく、

作業が、 真の歴史研究だ❗ 。


※例えば、

…御所で供される食事について、

ある日に、 給仕の者が、

「 悪 ア しく、したためた 」 、事が、

大きな問題となり

「 関係者の数名が、 厳罰に処された上、

さらに、 厳密な究明が進められて、

その他の給仕らが、 起請文 キショウモン ;

≒ 誓約書 、を書くに及んだ 」

、 という、 普通に考えたら

複数人の共謀による、

将軍か、誰かへ宛てた、

毒殺 、 などの企てを誘発しかねない、

事件などは、

厳罰を宛てられて、 当たり前でしょう。



@ 寺門 ;

≒ 寺の内部での昇格 、出の、

天台座主 ザス 、の、

異様な在任期間の短さ :


第 28代、の、 明尊師、 

長暦 2年 ( 1038 ) 、 に、補任して、

三日目に、 山門大衆の反対で辞任。


34代、の、 覚円師、

承暦元年 ( 1077 ) 、の、2月5日に、補任。

山門大衆が騒ぎ、 翌日に辞任。


39代、の、 増誉師、

長治2年 ( 1105 ) 、の、 2月14日に、補任。

翌日に辞任。


44代、の、 行尊師、

保安4年 ( 1123 ) 、の、 12月18日に、補任。

6日後に辞任。


47代、の、 覚猷師 ;

≒ 鳥獣戯画で 、有名 、

保廷4年 ( 1138 ) 、に補任。

3日後に辞任。


50代、の、 覚忠師、

応保2年 ( 1162 ) ;

≒ 後白河法皇の院政と、 平家政権の頃 、 2月1日に補任。

2日後に辞任。


60代、の、 公顕師、

文治6年 ( 1190 ) ;

源頼朝 ミナモト・の・ヨリトモ 氏を、

武家員らへの棟梁に頂く、鎌倉幕府が、

好い箱作ろう、の、 1185年 、に、

後白河法皇から、

一定の人々と地域ら、への、

統治権を認められた後 、

3月4日に補任。

4日後に辞任。


公顕師 、以降は、 もう、この仕組みは、

ダメだ、と考えたか、寺門出の座主は、

なくなり、 摂家門跡や、

宮門跡の時代となる。


戦後の総理大臣どころではない、

寺門出の、天台座主の在位の短さ :


@ 寺門出は、 園城寺 ;

≒ 三井寺 ミイデラ 、出 ;

、 という意味では、ありませぬか。

だから、 山門 ;

≒ 比叡山の者ら ; 、 から、

攻撃を受けたと。 :


@ 1441年、の、嘉吉元年に、

室町幕府の、第6代の征夷大将軍の、

足利義教将軍が、 赤松氏の侍に、

赤松の屋敷での宴会中に暗殺された❗ 、

『 嘉吉の変 』 、の後で、

室町幕府は、 幼少の将軍を補佐するべく、

畠山持国氏と、細川勝元氏とが、

交互に、 管領 カンレイ 、 として、

執政する時代があった。

が、 内実は、

単なる権力闘争の感が強かった。


その様を端的に示す手紙が、

南近江の豪族の、山中一族に伝わっている:


大上様 ;

≒ 第6代の義教将軍の子で、

第8代の征夷大将軍の、 足利義政将軍への母堂 ;

、 に申し上げる次第です。


私、山中高俊は、 四十年間、 検断 ;

≒ 警察業務 ;

、 の責務を果たしてきました。


西芳寺の荘主代 ショウズダイ

、 が、殺害された時は、

伊勢・伊賀まで、 賊を追いかけ、

見事に討ち取りました。


その時は、 西芳寺から、直々に、

恩賞を賜りました。


ですが、 伴帯刀 タテワキ 、が、

悪事を企て、私に濡れ衣を着せて、

裁判を起こしました。


畠山殿が管領の時に、 伴一族は、

成敗を受けています。

その時の書状も持っています。


ですが、 今回の裁判では、

調べもせずに、

本領の宇田村を没収されました。

これは、間違いです。

きちんと、調べ直して下しさい。


もし、 調べ直して頂けるならば、

ますます、 我々一族は、

幕府の為に、忠節を尽くす事でしょう。

謹んで言上 ゴンジョウ いたします 」 。


鈴鹿山道を、代々を、警護する、

山中一族だが、 管領が交代して、

就任している時期に、一族の本領である、

宇田村の付近の私有地を没収された。


その近隣の豪族の伴一族が訴えた為だが、

実は、この裁判は、 三年前に、

伴一族による、言いがかりだ

、 と、判決が下りている。


だが、 この裁判を、

畠山持国氏が裁可した、というだけで、

細川勝元が、判決を翻してしまった。


再審は行われずに、 山中一族は、

没落の道をたどる。


第3代将軍の足利義満氏の時とは、

違いすぎる、 管領の、

自分勝手な振る舞いだ。


この裁判の結果をうらみに持っていた、

山中一族は、 応仁の乱で、

六角氏側として参戦し、

西軍側の近隣な豪族の所領を攻撃した。

:

@ 甲賀忍びの棟梁で出てくる名だね、

山中氏に、伴さんは :


@ 太平記巻八 ;

・妻鹿 メガ 、孫三郎、

勇力事 、だから、 南北朝の頃の記事だ。


南北朝時代は、 一般的には、

鎌倉時代の後で、 元弘の変や、

建武の新政も、南北朝時代の事件、

として、 含まれる。


正確には、 1336年 ;

≒ 延元元年 / 建武3年 ;

、に、

足利尊氏どのによる、

光明天皇の践祚と、

後醍醐天皇の吉野への転居により、

朝廷が分裂してから、

第3代の室町幕府の征夷大将軍の、

足利義満氏が、

いざ、国、 合わそう、の、

1392年の、 元中9年 / 明徳3年 、に、

皇室らを合一するまでの、

室町時代の初期に当たり

朝廷は、 南朝が、

大和国の、吉野行宮 アングウ 、で、

北朝が、 山城国の平安京。


異常 、 という言葉に、

悪い意味を含めないが、 多分、

近親交配による、

遺伝子の系統らの重なり具合から、

筋肉が、異常に発達し易い、

体質だったのであろう :


『 年の頃、 二十歳ばかりの若武者が、

ただ一騎、駆け寄ってきて、

引き上げる途中の、 妻鹿 メガ

孫三郎と組み討ちをしようと近づき、

鎧 ヨロイ の袖 ソデ に取り付いた。


これを、 孫三郎は、物ともせず、

長い腕を繰り出し、

この若者の鎧の総角を掴んで、

左手の一本で、そのまま持ち上げた。


その状態のまま、 馬を、 三町 ;

≒ 約 3百メートル 、ばかりを駆けた。


左手で掴み上げていた、この鎧武者を、

馬上で、 右手にポイし、 右手だけで、

「 えい 」 、 と投げた。


投げられた武者は、

孫三郎の後に続いていた、 馬武者の、

6騎の上を飛んでいき、 深田の泥の中に、

体が見えぬ程、埋まってしまった 』 。


伝言戯務 ゲム ;

≒ 伝言ゲーム 、式の、

歪曲に誇張もあろうが、 太平記に、

何人かは、 出てくる化物らの中の一人、

な、 妻鹿孫三郎氏についての記事 :


@ 妻鹿長宗氏の一族、

人並み外れた怪力の男ばかり、

17人の軍団。 恐ろしそうだが、

16人は、 六波羅勢に討たれた :


@ 1441年の、 嘉吉の変 、を含む、

嘉吉の乱の時に、

城山城への後詰をするべく、

白旗城から出陣した、 依藤 ヨリフジ

太郎左衛門 ≒ 惟次 、氏。


しかし、 到着を待たずに、

城山城は落ち、 赤松満祐は、自害した。


間に合わなかった、 赤松側の、

依藤氏は、

揖西郡は、千本村 、という所にある、

辻堂へ、力なく、 走り上って、

腹を掻き切った。


が、

はらわたを、 庭前の楠に投げつけ、

眼を見開き、 歯を食いしばっていた所を、

たまさかに、 通りかかった、

美作 ミマサカ 小原城主の、

新免弾正 ダンジョウ 、 に見つけられ、

首を取られて、手柄とされてしまった。


新免氏は、 時の人から、

「 ひろい首也 」、と、

誹 ソシ られている。


依藤太郎左衛門氏は、 旧知の人により、

弔 トムラ われたのだが、 その人が、


「 梓弓 アズサユミ

播磨 ハリマ の方の 人、とえは

≒ 人問えば 、

松より藤の 名こそ高けれ 」

、 と、 歌を詠んで、掲げたら、


依藤 ヨリフジ 氏の亡霊は、怒り狂って、

悪霊と化し、里の民を悩まし始めた。


これは、堪 タマ らない、と、

ある僧を頼んで、改めて弔った上で、

この歌を、


「 あつさ弓 播磨の方の 人とえは

松により藤の 名こそ高けれ 」

、 と、 直したら、 亡霊の怒りは、

ようやく、鎮まった

≒ 『 播磨鑑 』 。


@ 主家想いの亡霊というのも、中々に、

難儀なものですなあ。


@ どっから、松が出て来たのか

、 と思ったら、 赤松の松か。


@ 手直しした後の歌では、

赤松氏を暗に指す、 松 、により ;

≒ 松 、のお蔭で 、

依藤氏 、という、

藤の者が、 名が高い、 といった、

意味になり

前の歌では、 松に比べて、

依藤氏が、 名高い❗ 、 といった意味に。

:

@ 伏見宮貞成親王の、

貴重な室町時代の記録の、

「 看聞 日記 」 、 より、

1418年の、 第4代の征夷大将軍の、

足利義持氏の頃の、 応永25年は、

8月晦日の記事 :


『 晴れ。 野遊びに出かける。

田向常良三位 サンミ 、

庭田重有朝臣 アソン 、 田向長資朝臣、

壽蔵主などと相伴して、

蒼玉庵へと行ったが、

そこの坊主が、 留守だったので、

敷地内の栗林に入り、 栗を拾った。

無許可で。 面々、大いに悪行を成した。


それから、楊柳寺に行き、

ここの庵に顔を出す前に、

本尊である観音像を拝見していると、

そこへ、 坊主がやってきて、

盃事となった。 三献も酌み交わした。


その後で、帰宅。 その後に、

蒼玉庵の坊主が、酒を少し持参し、

「 知らなかったとは言え、

私が留守の間にお尋ねになった、 とか、 恐れ入ります 」

、 等と言いに来た。


そこで対面し、「 こちらこそ、

栗拾いの乱暴狼藉、すまなかった 」

、 と、 謝り、盃を与える。

すると、退出していった 』 :


@ わざと、大げさに言った、

冗句 ジョーク 、 だよ :


@ 坊さんなのに、 普通に、しれっと、

酒を持参すんのな。 :


@ 中世の銘酒の生産地といえば、 寺社だぞ❗ 。

寺社は、それを売って、金を稼いでいた。


@ 現代の寺社への、 『 鏤想 ルソー 』 ;

≒ 『 イメージ 』 ; 、 は、

江戸時代や明治以降に定着した物だね。



◇ 熱中症への対策な事ら❗ ; 深部 ミベ 体温を下げる❗ 。

19/ 8/3 16:45 ;


◇ 水冷式な、 ヒトの体❗ ;

熱中症への対策な事ら❗ ;


水分 H2O 、と、 ナトリウム Na

、 とを、 バランスよく摂取する、必要性 ;

8月18日 ;

:

水冷式のヒトの体だが、

水だけを飲んでも、 ナトリウム ;

( 塩を構成する、

塩素の相棒らの一種 ) 、 などの、

塩分、な、 要素らを合わせて取らないと、

塩分などと釣り合わない分の 、 『 水 』 ;

≒ 『 H2O 、 たち 』 ;

、 は、

排出されてしまうので、

水による、体を冷やす働きが不足し、

体に、 熱がこもり過ぎる、

『 熱中症 』 、 に成り得る。


堀江正知教授は、説明する。


「 人間は、 皮膚からの、

“ 熱の放出 ” 、 と、 “ 発汗 ” 、 という、

2つの方法で、 体温を、

一定に保っていますが、 気温が、

体温より、高くなると、

発汗するしかない❗ 。


水分への補給を怠ると、

体内の水分量が、 減って、

脳の温度が、上がり❗ 、

体の中の熱を放出できず、

熱中症になってしまうんです 」 。

:

  症状は、 色々で、

めまいや頭痛を引き起こしたり、

極度の脱力状態となったり、

深刻な場合は、 突然に、意識を失って、

死ぬ事もある。

:

 昭和大学医学部救命救急センターの、

三宅康史准教授によると、


夏場は、

体を締めつけない、

ゆったりシルエットの服が、いい❗ 、 という。


「 救急で運び込まれた場合、

患者の衣服をゆるめるのは、基本です。

また、 ボタンは、上まで留めず、

裾も、外に出して、 風通しよく❗ 。

内側には、 吸湿性のある、

インナーを着ると、

発汗し易くなる❗

、 ため、

気化熱によって、 体温を下げる❗ 、

効果もあります 」 。

:

 また、 重要なのが、 水分の補給❗ 。

体の水分らの量は、

大人が、 約 60 % 、

子供は、 約 80 % 。


大量の発汗などで、水分が 、

5 % 、が失われると、 脱水症状に陥る。


「 脱水症状になると、

血液の循環が滞り、

放熱が、

うまくできなくなります。


こまめな、 水分への補給で、予防を❗ 。

30分毎に、 百50 〜 250 ミリ・リットル 、

1日で、 1・5 リットル 、

程度を、 飲み物で摂るべき、

必要性があります 」 。


8686人 ―― これは、

7月の最終週の、 1週間で、

全国の、 熱中症により、

救急搬送された人数。

うち、 3週間程の入院を要する、

重症な患者らが、 1・9 % 、

0・2 % ; ( 16 人 ) 、 が、亡くなっている。


  例えば、 こんな事は、ないだろうか。

炎天下を歩いていると、 額や脇、

背中から、 汗が噴き出し、

急いで、 家に帰って、クーラーをつける。


涼しい風に、ホッとした瞬間、

頭がクラクラッと…。

実は、これも、熱中症かもしれない。

:

池田宇一教授が語る。

:

「 熱中症には、

軽症、 中等症、 重症の3段階があり

軽症の、 筋肉の痛み、や、硬直は、 勿論、

中等症の、めまい、や、頭痛も、

日常的にあるので、見過ごしがちですが、

暑い日に、そうなったら、

室内に入ったから、 といって、

安心できません。

脱水状態に陥っているのに気づかず、

更に悪化する、 可能性もあります 」 :

 

「 水分を補給しつつ、 濡れたタオルで、

体を拭いて、体温を下げます。

特に、 頸動脈 、 という、

首に流れる、 太い動脈を冷やすと、

体全体が冷えるので、 効果的です 」 :


それでも、 治まらなかったり、

吐き気や、意識が朦朧な状態になった場合は、

「 即、医療機関へ❗ 」 。 :


 最大の予防策は、 水分を、

こまめに補給する❗

、 事であり

「 飲む点滴 」 、とも呼ばれる、

熱中症に効く、 飲料を飲む事だ❗ 。


女子栄養大学の管理栄養士な、

榊玲里さんが解説する。


「 体内の水分や塩分が不足すると、

色々な機能が低下し、

結果、 体の熱を上手く発散できず、

体内に、 熱がこもり、

熱中症を引き起こす。

ただ、 水を飲めば、いい訳ではなく、

水分、と、 ナトリウム ;

( 塩分 ) 、 を、 バランスよく、

摂る事が、重要です 」 。



◇ あり得る、 熱中症 、を、

未然に、 防ぐ上でも、

あるべき、 代謝らを成す、為の、

あるべき、代謝員らへの摂取ら、

において、

より、 漏れら、を成さない様にする、

事が、 決定的に、 重要な事だが

それに、合わせて、

上に述べられた様な事ら、や、

脳から、 より、 遠い部位である、

手先や、足先を、

日頃に、 ひんやりとした、

水へつけて、 ゆったりと、冷やす、

といった事を、 折に触れて、

やり付けるようにする事も、

効果を成す❗ 、 という。


★ 日本人たちへ、

所得の一定な度合いの、金額な数値らが宛て付けられる事を、

無駄の費用の発生、 と、 悪宣伝し、

日本の中央政府の財政における緊縮、と、増税を成す事を、

反日員らから成る、与野党の者らと、財務省の役人めらが、

一致協力して、推進して来ており

それを、 反日なカルト信仰員らが、支持し、黙過もし、

煙幕も張って、 より、

世論の焦点に成る事を防ぐ❗ 、 実態を成している。



◆◇ シナとの密約がある❗、

アメリカの裏の実態を明かした、

アメリカの要人からの直言❗ ;

2016/ 1/30 1:9:30 ;


Pillsbury氏 :

ニクソン政権から、対シナ政策を担当。

今は、 国防総省の顧問で、

ハドソン研究所の、中国戦略センター所長❗ ;

http://www.news-postseven.com/archives/20160129_376559.html

http://www.bbc.com/japanese/video-35426196


☆ 三橋貴明氏❗ ;


麻生財務大臣に質問「放漫財政って、何?」


2020-8-8 8:40:52 ;

「落選させるべき自民党議員(前半)」三橋貴明 AJER2020.8.4

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稲田朋美衆議院議員に質問 「理念なきバラマキ」って何? [三橋TV第272回]



稲田朋美衆議院議員に質問 「理念なきバラマキ」って何? [三橋TV第272回]三橋貴明・高家望愛

 本田悦郎氏や安藤裕衆議院議員の

「消費税減税」提言に対し、

早速、政権中枢から

牽制が来ております。


『消費税率、簡単に切り下げる話には与しない=麻生財務相

https://jp.reuters.com/article/japan-ctax-aso-idJPKCN2530C6

 麻生太郎財務相は7日の閣議後会見で、

一部与党議員らが提唱している消費税率の引き下げに関して、

「簡単に切り下げる話には与(くみ)しない」と述べた。


 麻生財務相は

「公債依存率が

56.3 %

と、リーマン・ショック時を上回り

財政は厳しくなっているのは間違いない事実」と指摘。


その上で

「財政を放漫なものにおくわけにはいかない。

財政の持続性確保は重要な問題で、一概に

消費税を簡単に切り下げる話に与しているわけではない」と語った。(後略)』


 ちなみに、安藤裕衆議院議員は

麻生派だったりします。

 というわけで、すっかり

財務省の飼い犬と化した麻生財務大臣に質問。

「わんわんっ!」と答えて下さいね。


「放漫財政って、何?」

「財政の持続性って、何?」


 この種の抽象用語で財政を語る者は、嘘つきか、バカか、

バカな嘘つきの何れかです。麻生財相は、どれ?


 わたくしが定義するならば、


◆ 放漫財政:


インフレ率が適切な水準を超えているにも関わらず、

財政支出を拡大しようとすること


◆ 財政の持続性:


国債金利やインフレ率が適正水準で推移し、

国民経済の供給能力が拡大していくか否か


 になります。


 今のレバノンを見ていれば分かるでしょうが、

財政が

債務不履行等なしで継続するか否かは、

供給能力で決まります。


レバノンが財政破綻に陥ったのは、

供給能力が乏しすぎるためです

(何と、食料の八割が輸入でした)。


 自分の頭で真剣に考えたならば、

反論は、不可能ですよ、麻生財務大臣。


 ちなみに、「適正なインフレ率の水準」について、わたくしは、

「 GDPデフレータベースで、

2 % 」

 と、答えていますが、

以前にも書いた通り、これは

1980年以降の、 フィリップス曲線

、が、 基になっています。


80年以降の日本は、

インフレ率が、 GDPデフレータベースで、

2 % 、 になると、 完全雇用となり、

それ以上、 インフレ率が上昇しても、

失業率は、 改善していません❗ 。


 というわけで、 過去のデータに基づいて、

「 2 % 」 、 と言っているだけで、 実際に、

インフレ率 、 が、 2 % 、 を達成した時点で、

「 充分か、不充分か 」、は、 分かりませんからね。


経済は、常に、不確実なのです。


 不確実である以上、

経済政策は、常に、機動的でなければならない。


 恐慌期であるにも関わらず、抽象論を振りかざして

緊縮路線を推し進めようとする政治家は、間違いなく

「国民殺し」です。

【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】


http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

 2019年度のデータが揃って参りましたので、

中央政府の、純負債、と、 長期金利

( 新発十年物国債金利 )、

インフレ率のグラフをアップデートしました。


【日本の中央政府の純負債(左軸)と長期金利・インフレ率(右軸)】


http://mtdata.jp/data_71.html#junfusai


 2019年度末時点で、プライマリーバランスの赤字、つまりは

「政府の新規貨幣発行」の蓄積である

「中央政府の純負債」額は

872兆円。


 対して、長期金利とインフレ率は共に

(ほぼ)ゼロ。


 恐ろしいことに、2018年度から19年度にかけ、

政府の純負債は、

(わずか!)7兆円しか増えていません。


いや、冗談抜きに、安倍政権は

ガチで

PB黒字化を目指し、

国民を殺しにかかっていました。


 お分かりでしょうが、

「誰かの純負債 = 誰かの純資産」

 です。


政府が、 純負債を増やす❗

、ということは、

その反対側で、

民間の主権者たちの、 純資産が増えます❗ 。


  PB黒字化とは、

政府の純負債を減らすこと❗、 な、

そのものなので

「 お前たち国民の、 財産 ( 純資産 )を減らしてやるっ❗

 貧困で苦しめ❗ 」

 

、という

目標なのでございます。


 麻生財務大臣は、8月4日の閣議後記者会見で、

「(PB)黒字化は

7年度との(政府)目標を直ちに作り変える必要はない」

 と語っています。


国民殺します宣言でございますね。


 ところで、長期での金利、と、インフレの率、が、 共に

ゼロ❗

、 ということは

日本は

放漫財政どころか

「緊縮財政」であることを示しています。


(放漫の対義語は緊縮)。


  緊縮財政で、

国民経済の供給能力を破壊し、

将来的な財政の持続性を危うくしている政権が、

「 放漫財政で財政の持続性に問題がある 」

  、とか、やっているわけです。


 まさに、喜劇の国。


 というわけで、麻生財務大臣にもう一度、問います。

 あなたの定義する「放漫財政」とは、何なんですか?

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◇◆ 日本人たちは、 より早くに、

日本人たちの足元の、 地下へ、

より、 どこからでも、

より、 速やかに、 落ちついて、

歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、

より、 快適に住める、 避難所らとを、

作り拡げてゆく、

公共事業らを成す事により、


日本の、 財務省の役人ら、と、

与野党の、 主な政治家らとが、


英米のカネ貸しらの主張する事らを、

そのまま、自らもまた、

オウム返しにして、主張し、

実行もする事において、


日本政府の財政における 、緊縮 、

を、 繰り返し、 成す事を通して、


彼らへの、 主 アルジ の立場にある、

日本の主権者としてある、日本人たちへ、

物価だけではなく、

その労働らへの賃金らの水準へも、

より、 押し下げる向きへ圧力をかける、

要因らの系である、

デフレ不況性 、を、

押し付け続けて来てある、


その、 デフレ不況性 、を、

解消し去ってゆく、 と共に、

日本人たちの防衛性の度合いを、

飛躍的にも高めてゆくべき、

ぎりぎりの状況にも、 ある 。


地上を襲い、 地上をおおい得る、

あり得る、 災害らへ対して、


地上に、 避難所らや、

避難経路らを設定して、

日本の主権者たちを、

それらへ誘導する事は、


人食い虎どもの住む、 密林へ、

わざわざ、 人々を誘導する事に類する、

行為であり、


日本の主権者としてある、

日本人たちの一般 、へ対して、

個々の日本国民においても、

執事なり、 召し使いなりの立場にある、

公務員などの、 者らにおいても、

成す事が、 許されない 、

行為なり、 態度なり、 であり、


日本人たちの一般の、 あり得る、

福利ら、を、 より、 能くも、

最大限にも、 成す事を、 約束して、

日本の社会に、 存在し、 存続する事を、

日本国民たちの一般から、 許されてある、

筋合いにある者としての、 義務 、 に、

違反性を成す、 行為であり、


それが、 作為型では、 無く 、

無知性と痴愚性とにもよる、

不作為型の、 行為なり、 態度なり、

であっても、

それへの責めを負うべき、 筋合いを、

その主らの側に、 成すものである事に、

変わりは、 無い。


日本人たちには、核武装❗、と、

地下避難網ら❗、が、より、

日本の内外に、本格的な、

平和性らを成し付け得てゆく上でも、

必要❗。


この事らを、 より、 日本人たちへ、

伝える措置を自ら成さない、 者らは、

より、 反日員としての、

負の度合いを、 自らへ宛てて、

観積もらせる、 筋合いを余計に成し、

より、 伝える措置を自ら成す主らは、

より、日本人たちの一般の、

足しに成り得る向きに、 働き得た主として、

正の向きの度合いを、 自らへ宛てて、

観積もらせる、 筋合いを成す。


差し引きで、 より、

どちら側であるかの、度合いを観積もられ、

その度合いらに相応しい処遇を、

宛てられるべき立場にも、

誰もが、ある。


この事らの発信と履例への参加をもって、

日本人たちの一般の側に参加し、

その社会の主権者たちの一般の側に参加する、

主としての筋合いを自らに成す、 もの、とし、

自らの社会の過半数が参加してから後に、

参加する行為らを成す者らと、

それをしない者ら、については、

その前に、参加し得てある主らによる、

審査により、

その成ると成らぬとの選別が、

成され得る、もの、 ともし得る、

筋合いが、 この事には、ある❗ 。