ヤマト ; 日本 ➕ パーキンソン病❗; 主権者; 世主 セス 、ら❗ ; 解放を急ぐべき、シナによる、桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗
☆ ヤマト ; 日本 ➕ パーキンソン病❗
;
△ 根途記事 ➕ 論弁群 ;
@ NHK でやってたよな、
飽食の時代になっても、 縄文時代の日本人たちは、 選んで、どんぐりを食べていたって。
@ 草食動物らは、 草と一緒に、
それに付いてる虫も一緒に食べているみたいで 、
そうやって、 タンパク質を補っているのでは?
、って説を読んだことがあるよ。
@ 子供が拾って来た、どんぐりを育てて、
盆栽に
@ ドングリの中に居る虫は、
ゾウムシの幼虫
栗の中にいる虫も、同じゾウムシ
@ 栃の実は、 餅の中に入れて、 毎年に食ってるぞ❗
@ 米づくりって、異常だよな
あんなに複雑な技術と手順を、大勢が納得してやるようになったって、すごすぎる。
よっぽど、うまかったんだろう。
どんぐりよりw
@ ある程度は、安定した収穫が見込めるってのが、大きいんだろさ。
ドングリじゃ、収穫量は、たかが知れてるし。
収量を増やそうとすると、 コメより、
手間も時間もかかる。
@ 稲作をしていた登呂遺跡の跡からも、
どんぐりの入った甕 ミカ 、が発掘されている❗
@ 科学文明やテクノロジーは、発達しまくったけど、
俺たちは、どんどりの民だと思うと、 心が安らぐよね。
平和で、ぽかぽかした気持ちになる。
@ 昔の日本の沿岸は、 アワビが豊富で、
縄文人らは、 毎日、バグついていた模様。
平安貴族も、 献立の記録に、
毎日に、 アワビが出ていたのが残っている。
@ どんぐりとか、アワビとかって、
アゴが強い奴は、好むよね。
縄文人とかは、アゴが強かったんだろうな。
@ マテバ 椎 シイは、 タンニン ;
( 渋み ) 、が、 0・5 % 、 しかなく、
甘みがあって、 そこら中に生えているので、
食用に、一番向いている。
@ シイノキの実の方が、 アクは少ないんだが、 小さいからなあ。
マテバシイは、大きいから、堅い皮も、剥き易い。
@ 太平洋の諸島では、イモを食っているな。
イモといっても、 サトイモ ;
( または、 それに近い、 タロイモ ) 、や、
ヤマイモ ; ( または、 それに近い、 ヤムイモ ) 、 を食べている。
ただし、何故か、本来は、 中南米が原産な筈の、
サツマイモが、
太平洋の諸島の各地で栽培されており、
ポリネシア ≒ 多い島 、 人らが、
カヌーで漂着して、採取して持ち帰ったのでは、
などと言われている。
@ リスさんが、可哀想だろ。
@ リスちゃんは、 クルミや、松ぼっくりの方が、好物。
@ リスなんか、ひまわりの種でも食わせとけ。
@ どんぐりが、品種改良されて、
皮のままで、食べれたり、 めっちゃ、ジューシーだったりすれば、 生き残れたのに。
@ 気候の変動による海面の上昇で、
現在は、内陸部に、 貝塚がある、 茨城県に残る資料で、
それを分析した平安時代の資料と、
江戸時代の資料が残っている。
@ 田舎の道の駅なんかに行くと、
どんぐりの粉を売ってたりするから、
そういうのを小麦粉に混ぜると、いい。
☆ 中国の古都は、 西安で見つかった墓誌 ;
( 故人の事績を刻んで、墓に収めた石板 ) 、に、
「 日本 」 、との文字があることを紹介する論文が、 中国で発表された。
墓誌は、 『 678年の作と考えられる 』 、 としている。
日本と名乗るようになったのは、
いつからなのかは、 古代史の大きななぞだ。
701 名 ナ 、は、 一 イチ 番に良い 、 の、 701年 、 に、 施行された、
大宝律令 タイホウリツリョウ 、から、
との見方が、有力だったが、
墓誌が本物なら、 さらにさかのぼることになる。
中国の墓誌を研究する、
明治大の気賀沢保規教授 ; ( 中国史 ) 、 によると、
論文は、 吉林大古籍研究所の王連竜氏が、
学術雑誌の、 「 社会科学戦線 」、 の7月号に発表した。
祢軍 ( でいぐん ) 、という、
百済 ( くだら ) 人の軍人の墓誌で、
1辺が、 59センチの正方形。
884文字があり、
678年の2月に死に、
同年の十月に、 葬られた、 と記されている。
日本人たちも混在し、 王家らも出した、
百済を救うために、
日本は、
日本領の任那 ミマナ 、 が、
その南部にあった、 朝鮮半島に出兵したが、
663年に、
白村江 シラスキノエ ( はくそんこう ) の戦いで、
唐と、 新羅 ( しらぎ ) の連合軍に、
水上で、 敗れる。
その後の状況を、 墓誌は、
「 日本餘 ● ( ●は、 口へんに焦 )
拠扶桑以逋誅 」 、 と記述。
「 生き残った日本は、
扶桑 ( 東の大海にある島、 日本の別称 ) に閉じこもり、 罰を逃れている 」
、 という意味で、
そうした状況を打開するために、
今の朝鮮人らとは、 直接の血縁関係の無い、
百済の将軍だった祢軍氏が、
日本に派遣された、 と記していると、
気賀沢教授は、説明する。
http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html
上の方に、 「 日本 」、 の文字が見える。
「 最古の日本 」、 の可能性が高い
=「 社会科学戦線 」 7月号、王連竜氏の論文の、「 百済人祢軍墓誌考論 」 から
http://www.asahi.com/culture/update/1023/images/TKY201110220633.jpg
@ 小野妹子氏が、 隋に持っていった、
「 日出處天子 致 書 日沒處天子 無恙云云
≒ 日いずるところの天子、 書を、 日が没すするところの天子へいたす、
つつがなきや、 うんぬん 」 、の、
いわゆる、 聖徳太子の国書が、
『 607年 』 で、
第2代の皇帝の、 煬帝の隋からの答礼使の、
裴世清に持たせた返書の、
「 東天皇敬白西皇帝 」 、が、 その2年後だ。
東 = 日の本 、 なんて、古代人においては、
普通の発想でしか無い。
@ また、意外なとこから出てきたね。
白村江の敗戦のショックで、 わずか15年の間に、
大急ぎで、改名したんだろうな。
@ 701年に、 対馬で、 金が採れた ;
( 実は、 嘘だったらしいが ) 、ときに、
途絶えていた元号を復活させて、
「 大宝 」 、 とした。
その後は、 元号は途絶えることなく、
「 平成 」 、に至る。
674年の銀も、 全ての神々に捧げ、
全ての官吏らに配る、 という、
大騒ぎをしたのに、
改めて、元号を立てた記事が、無い。
国号を変更したのなら、
黄金のジパング = ジャパン = ジッポン
= 日本の出発点か。
@ 倭から、 日本ってのは、
白村江の敗戦のあとに、
王朝の交代があったかのようにみせたかったのではないかな。
隋から唐に変わったみたくさ。
@ 天武天皇は、
673 胸騒 ムナサ わぎ、 の、
673年、に、 耽羅の使者に、
天命が革まって、 王朝が代わる事である、
革命を宣言している。
【 王朝が、 交代したから、
唐帝国から、 攻められる筋合いが無くなった、
という事にする為に、
天武天皇側が、
その先代で、 兄の、 天智天皇との関係性を、
兄と弟では無いかの様に、
外国人ら等へ、述べ伝える場面らを成した事も、
あって、
それが、 日本側の歴史書らにも、
反映されたのではないか? 】 。
@ 耽羅からの渡来人の、
坂上 田村麻呂 サカノウエのタムラマロ 、 どんを、
多賀城に遣わし、
蝦夷 エミシ 達を討ったのだろう?
@ 坂上田村麻呂どんは、
東漢 ヒガシノアヤ 氏だろう? 、 たしか。
だから、応神天皇時代の前後くらいに、
日本に移住してきた出自をもつ豪族だよ。
@ 「 新羅 」⇒ 「 しらぎ 」、
「 百済 」⇒ 「 くだら 」、
「 任那 」⇒ 「 みまな 」 、
「 白村江の戦い 」⇒ 「 はくすきのえのたたかい 」 。
でも、今の中学生や高校生の教科書には、
「 新羅 」 ⇒ 「 しんら 」 、
「 百済 」⇒ 「 ひゃくさい 」 、
「 任那 」⇒ 「 伽耶諸国 ( かやしょこく 」 、
「 白村江の戦い 」⇒ 「 はくそんこうのたたかい 」、
に成っている件について…。
これも、朝鮮人どもの影響だろうか…??
@ 「 しらぎ 」、とか、 「 くだら 」 、 ってのは、
倭国側での読み方で、
当時に、 彼らが、 何というふうに、
自分たちの国名を読んでいたのか、は、
分からんのだよ。
漢字というのは、時代によって、音韻が絶えず変化するからね。
@ 日本で、 日本側の呼び方をする事は、
当たり前な事なので、
クダラは、 クダラで、いいし、
シラギは、 シラギで、 いい。
@ 「 新羅 」、は、「 シラギ 」、
「 百済 」、は、 「 クダラ 」、
「 任那 」、 は、 「 ミマナ 」、 なのに、
なぜ、 「 高句麗 」、 は、「 コマ 」、 じゃなくて、
「 コウクリ 」、 なの?
@ たしか、 日本書紀とか六国史に、
「 高句麗 」、は、 出て来ないよ。
「 高麗 」、 と表記し、「 コマ 」、 と訓んでるはず。
@ 山梨には、 巨摩 ( こま ) 、 っていう地域があるんだけど、
高麗からの渡来人が住んでいたから、
「 こま 」 、って読むんだよ
って、 中学で習った。
@ ヤマトも、 畿内の地名だよね
地名が、国名になるのは、 結構と、大規模な軍事統一が必要なんじゃないだろうか。
@ 「 ヤマト 」、が、 国号になったことは、ないんじゃないか。
6世紀以前には、 中国から、
「 倭国 」、 と、一方的に呼ばれていたものが、
6世紀の前後に、 日本側から、
「 日本 」、 という、国号を中国に伝えている。
日本で初めてできた国号が、 日本。
それ以前には、まだ、
畿内を中心とする小国連合であって、
一つの国という概念が、 国内にあったかどうかは、
分からない。
@ 倭も、 日本も、 国内での訓みは、
やまと。
漢字での新しい表記法が増えたにすぎない。
あすか→ 飛鳥・明日香
なら→ 那羅・平城
はつせ→ 泊瀬・長谷
しき→ 志貴・磯城
うじ→ 宇治・菟道
なにわ→ 難波・浪速
やまと→ 倭・日本
@ 教科書とかテレビの歴史番組とかで、
「 中央集権国家を確立し、
倭国から、 日本国に国名を改めた云々 」
て刷り込ませた過ぎたんだと思うね。
実際は、 漢字での書き方が増えただけの話で、
倭国・日本国は、 どっちとも、
国内的には、 「 やまとのくに 」 、だったんだ、
と思うんだよね。
奈良時代以降は、
「 やまとねこ 」 、 の表記には、
倭根子も、 日本根子も、 使われるし、
万葉集でも、
「 日本 」 、は、 「 やまと 」 、 と読まれ、
大方で、 奈良県のことを指すわけだから、
「 国号を、 『 わ 』 、 から、
『 にほん 』 、 に改めた 」 、 云々てのは、
ちょっと違うんじゃないかなあ、と思う。
@ 気がついたら、
日本 = にほん 、 になってたってことか。
@ 大陸 ( 漢風 ) 文化の影響かな。
平城京の、 「 ならのみやこ 」、
平安京の、 「 たいらのみやこ 」 も、
「 へいじょうきょう 」、
「 へいあんきょう 」 、 になっちゃったしな。
@ 「 日本 餘 ●
( ●は、 口へんに、 焦 ) 拠扶桑以逋誅 」 、の、 日本って、
「 国号 」、 というより、
もっとくだけた、 異民族の俗称が入りそうな文脈だ。
白村江の戦いに破れた後に、
日本の天武天皇側が、 あわてて、
国号をたてて、
その直後に、 旧敵国側の人間が、
日本の立場を尊重して、 日本の新国号を、御丁寧につかってくれそうな文脈じゃない。
ひょっとすると、 「 日本 」、 というのが、
当時の倭国への蔑称とまではいかなくても
俗称だった可能性があるのでは?
で、 倭国政府は、
大陸や半島での、 「 日本 」、 という、
「 倭 」、 への俗称を、 何らかの誤解の下に、
正式な国号としてしまったのでは?
@ 墓の主が、 日本人らによって、助けられ、
日本人らを先祖とする、王家らと、住民らのいた、 百済の人間だから、
こっそりと、 日本に義理立てをした可能性も、
無くはない。
墓誌は、埋めてしまうから、
シナの役人の目に触れる危険も無いだろう。
@ ああ。 旧百済の人間として、 百済を援助してくれた倭が、
海の向こうで、 「 日本 」、 とか名乗って健在なのを、 内心では、喜んでいる、
てな文脈なのかなあ。
どのみち、朝日の記事だけじゃ、何もわからないや。
@ ひょっとすると、
日本に亡命した百済貴族らが、
唐に帰服した、 この墓主に対して、
縁故を辿って、
天武政府からの依頼を受けて、
「 今度、 " 日本 " 、 という、 新国号にしました。
この新しい名前で、 唐との外交関係を改善できないか、 瀬踏みしてくれませんか? 」
、とか、 働きかけていたのかも。
@ 「 日本国の残余兵は、
国内の東方に逃亡した 」 、 という意味。
扶桑 ( ふそう ) とは、
日本の東域 ; ( 正確には、 関東方面 ) 、のこと。
@ 扶桑 ; ( ちゃんと調べてみたよ ) ;
原義は、 東海の日の出るところにある、 という、
巨大な神木。
転じて、
東方の海上にある、 島国。
扶桑・扶桑国は、 日本への異称ともなった。
@ 調べたら、何でも分かる、と思っちゃ、
いかんぞ。
扶桑というのは、語義がまだ、不安定な言葉だからな。
@ 日本人がいう、 扶桑じゃないぜ。
日本国内での、 純正仕様の解釈ではなく、
「 6百年代の、 7世紀の中国人ら 」 、 が、
扶桑といったら、 何の意味があるかの問題だ。
この文章では、 「 大海の中の島 」 、
という意味で使われているのは、 明白だ。
@ ?は、 「 噛む 」、 という意味のやうですが。
@ 扶桑 = 日本 、の意味となったのは、
平安・鎌倉時代以降だろうな
@ 「 日下 ( くさか 」 、 とは、関係ないの?
@ それは、枕詞に由来する、と考えられている。
@ 日本ぐらいは、 使ってても、
おかしくないんじゃないか?
日の本の国→日本だろ。
おまいらも、 「 お彼岸 」、 ぐらいは、 知っているだろうが、
あれは、 「 むこう岸 」、 という意味だ
つまり、 「 ひノもとノくに 」、 とは、
半島倭人らからすると、
日本海を見ながら、
「 むこう側の本国 」 = 『 ひの本の国 』 、 だ。
和語の音に当てる漢字を、
倭→ 和 、と改めたように、
「 ヒに、 日をあてた 」 、ってわけだよ
@ 国内向けに使われていたのかな?
中国向けには、 倭国でさ。
@ ちがう❗ 。
中国向けに、 「 倭 」 、だったのを、
中国向けに、 「 日本 」 、 に変更したってこと。
国内では、 ヤマト 、 のままで、 かわりはない。
@ 墓碑の全面写真を見たけど、
扶桑の、 「 扶 」 、の部分は、 欠けているみたいだなあ。
扶桑とは、読めんぞ。
@ 670年が、 近江令、
日本建国の年だ、 と思う。
@ たかが、 法律だろ
なんで、 日本がなかったことになるんだよ。
@ 禰軍は、 665年に、
唐の使者として、 倭国に来た。
日本書紀に、 しっかり出ている。
@ 日本人たちを先祖とする王家らが出て、
日本人たちが住んでもいた、
新羅 、 の記録では、
倭が、 日本になったのは、 670年。
禰軍どんは、 672年まで、 新羅にいた。
@ 天武天皇3 ( 674 ) 年の3月に、
対馬で、 銀が採れたが、
これは、 「 倭国では、 初めて 」 、のことだと、 日本書紀は、記している。
この、「 倭国 」、 は、
狭義の、 「 倭国 」 = 奈良県 、 でなく、
明らかに、 対馬を含む、
広義の、 「 倭国 」 = 「 大倭国 」、 であるので、
この時は、まだ、 「 日本国 」 、でなく、
「 倭国 」 、 だったが、
この事件を契機に、 「 倭国 」、 は、
「 日本国 」 、 に変わったのではないか。
根拠は、三つ。
① 天武天皇4 ( 675 ) 年の1月に、
奈良県を、 「 倭 」 、でなく、
「 大倭 」 、 と記した記事が現れる。
狭義の、 「 倭国 」 = 奈良県を、 「 大倭 」、 と記した例は,
宣化天皇以前に、 数例しかない。
これは、 広義の、「 倭国 」、 の国名の変更を暗示している。
② 674年とも重なる、 天武天皇3年は、
前後の年に比べて、 極端に、記事が少ない。
「 日本 」 、 を、神代に遡らせるために、
国名での変更の記事を省略したか。
③ 675年とも重なる、 天武天皇4年は、
祝賀ムードが高まり、
新羅の王子の、 忠元どんや、 耽羅 ( 済州島 )、の王の、
姑如どんが、 日本に来ている。
ここで、 両国に、国名の変更を伝えたのだろう。
@ ていうか、倭も日本も、やまと。
飛鳥と明日香 ( あすか )、
平城と奈良 ( なら ) 、
長谷と泊瀬 ( はつせ )、
みたいなもんで、基本的には、新しい表記法が増えた、 ということ。
確かに、 奈良時代以降、
対外的にも、 日本全国としての国名を、
「 日本 」、 としている節は、 あるけど、
一方で、 称徳天皇の詔や万葉集などは、
奈良県のやまとのことを、
「 日本 」 、 と表記している例もある。
@ 菩薩の居所は、 空居天である、
兜率天 、 とされるが、
地蔵菩薩は、 地居天である、 忉利天に在って、
釈迦仏の付属を受け、
毎朝に、 禅定に入りて、 衆生の機根 ;
( 性格や教えを聞ける器 ) 、 を感じ、
釈迦の入滅後の、 56億7000万年後に、
弥勒菩薩が出現するまでの間は、
現世に、 仏が不在となってしまうために、
その間を、
六道 ; ( 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道 )
、 を輪廻する衆生を救う、
菩薩である、 とされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/地蔵菩薩
@ 日本では、 神仏らは、一体だから。
@ 付喪神 ツクモガミ 、 って言って,
針にすら、神が宿るってことになっている。
@ それは、 喋ることも見ることも感じることも、できない
それらな、人間が作った像らを崇拝する者らは、
いずれ、 それらと同じようになる ;
( 聖書より )
@ お地蔵さんのいる場所で、 悪いことをする気にならない。
@ 言われてみれば、 確かに。
@ 菩薩というのは、 既に悟りを開いているが、 現世の人々の為に、
如来とならずにいてくださる存在なのです。
地蔵菩薩をなめては、いかん。
@ 如来って、 もう、仏なのに、
人々を救うために、あえて来た人じゃなかったっけ。
@ 日本の、 本地垂迹思想 ;
仏教が興隆した時代に発生した、
神仏らを習合する思想らの一つで、
日本の八百万の神々は、
実は、 様々な仏ら ;
( 菩薩や天部なども含む ) 、 が、 化身として、
日本の地に現れた権現 ( ごんげん ≒ 仮の姿や在りようの者 ) である、
とする考えである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/本地垂迹
@ 昔に、 どっかの寺から、 仏像を盗んだ奴らがいたんだが、
全員が、事故で死んだ、 という、ニュースがあった。
@ 道端のお地蔵さんに蹴りをいれる奴と、
手を合わせる人と、では、
どっちと仲良くしたい? 、 と考えたら、
やっぱ、 後者だよなぁ…
@ 石の塊に手を合わせる変人と、
蹴り入れる野蛮人となら、
どっちとも、仲良くしたくないわw
@ お地蔵さんを、 ただの石の塊という奴とも、友達になりたくないな。
@ 神仏が、どうこうじゃなくて、
地蔵を彫った人のこと考えると、
蹴りなんか入れられんよ。
@ 石の塊では、ないわな
少なくとも、 お地蔵さんの形にした彫刻士がいて、
、 その人の念は、入っている、と思う。
@ 念とか、ないから。
@ あるから、 言葉になってるんやで。
@ 如来
菩薩
明王
天 ← 神は、 ここ
悟りの度合いに応じた、
人々を救う能力性の度合いが高い、
偉い順に並べると、 こうだ。
☆ 豊臣政権を存続させる上で、 効果を成した事は、 何か❓
@ 極論すれば、 秀吉氏が若いうちに、
優秀な男児が出来てれば、
何の問題も無かったんだよな。
しかも、 ねねさんが、実母で。
父母のどちらの遺伝でも、基本的に、優秀。
叔父が、 堅物の秀長どん。
兄貴分が、 マッチョな加藤清正氏と、
福島正則氏。
怪しい蜂須賀のオッサンが、
ガラの悪い手下とともに、家を出入りして、
竹中半兵衛氏とかが、 家庭教師格。
後の子分に、 石田氏。
すごく逞しく育ちそう。
出生は、 1562年頃で、初陣は、 1575年の長篠。
その後も、 各地を転戦し、 1582年の、 中国攻めと山崎の合戦では、
前線の指揮官として奮戦。
この時点で、 二十歳くらい。
そして、 三兄弟は、 島津攻めや小田原征伐などでも活躍しつつ、叔父の秀長氏とともに、
利休氏から、 茶の湯を学んで、
雅とコネクションを強化し、
流行の切支丹も、 ハマりすぎない程度に、
ちょっと、かじり、 半島への征伐で、無双し、
秀吉どんの死の時点で、 三十六歳、 という、
油の乗り切った年頃。
そんなチート後継者がいれば、
豊臣の家は、 安泰だったかも。
なんて、都合の良い設定だけど、
毛利三兄弟とかの例があるからな。
@ 毛利三兄弟も、 母父 〔 吉川 〕 一族の実績も、 優秀だもんなあ。
@ 前田利家って、そこまで、 実力と義理堅さがあるかね?
歳をとって、 同年代の知り合いがいなくなった、
秀吉どんが、 弱気になって、頼っただけで、
実際は、
柴田勝家氏に見切りつけた時みたいに、
時流に乗りそう。
@ 丹羽長秀氏が生きていれば…
関白豊臣秀吉は、 誕生せず、
お飾りだが、 三法師 ( 織田秀信氏 ) 、が、
天下人で、 羽柴秀吉氏は、
長秀氏や家康氏に、 信雄氏と並んだ、
筆頭ではあるが、 大老らの1人だろう。
@ 東播磨の三木城を本拠とし、
覇を競ったものの、 毛利と織田の間に揺れ、
最後は、 秀吉どんに兵糧攻めをされて滅んだ、
別所氏について語りましょう。
別所長治氏 辞世の句
「 今はただ うらみもあらじ 諸人の
いのちにかはる 我身とおもへば 」 。
@ 別所氏 ( べっしょし ) は、
播磨の、 戦国大名を輩出した氏族。
播磨の守護大名・赤松氏の庶流で、
三木城を本拠とした。
室町時代の中期以降は、
1441年に、 室町幕府の、 第6代の征夷大将軍の、 足利義教氏が、
赤松満佑の屋敷での、宴の最中に、暗殺された、 『 嘉吉の変 』 により、
主家の赤松氏と共に、
別所氏も、 一時は、 衰退したが、
1467年に始まった、 応仁の乱により、
赤松氏が勢力を回復すると、
別所則治氏は、 三木城を築き、
初代の城主となった。
それがために、 則治氏は、
別所氏での中興の祖 、 と言われる。
則治氏の孫の、 就治氏の代に、
主家の赤松氏と、 その守護代である、
浦上氏が対立して、
赤松氏の勢力が衰退の一途をたどり始めると、
就治氏は、 東播三郡を支配下に置いていたことを背景に、 赤松氏から独立し、
戦国大名として、名乗りを上げる。
就治氏は、 武勇に秀でていたことから、
その後は、 三好氏や尼子氏の侵攻を次々と撃退して、 勢力を拡大し、
東播八郡 ( 美嚢郡、明石郡、加古郡、印南郡、加西郡、加東郡、多可郡 、神東郡 )
、 を支配する、 別所氏の最盛期を築き上げた。
しかし、 就治氏の孫の、 長治氏のときに、
織田信長氏の命を受けた、羽柴秀吉氏によって、
有名な、 「 三木の干殺し 」 、 にあう ; ( 三木合戦 )。
長治氏は、 2年間近く抵抗する、 という、
しぶとさを見せたが、 力尽きて、
本能寺の変の2年前の、 1580年 ;
( 天正 8年 ) 、に自害し、 ここに、
戦国大名としての別所氏は、 滅亡した。
@ 旗本の別所信治どんって、
やっぱり、 一族だよね?
@ おそらく、 別所長治氏の叔父で、
秀吉どん側についた、 重宗氏の系統でしょう。
子の吉治氏は、 実は、 長治氏の子、とかって、
嘘くさい説がある。
吉治氏は、 関ヶ原の後に、 丹波だか、
但馬あたりに、 3万石程度をもらって、
大名になるが、 参産勤交代をさぼるかなんかやって、 改易になったんだっけ?
@ 長期間を籠城出来るほど、
三木城の付近って、険しい場所だったのか?
すぐ横に、 川が流れているから、そこから、 兵糧を逐次補給出来そうだが。
@ 行ってみると、分かるけど、
意外に、 山も低いし、 険しいって程じゃないんだけど、 何か守りやすかったみたい。
川は、 上流を、 秀吉どんに押さえられているので、
使えないでしょう。
明石の方から、 こっそり、 山を越えて、
兵糧を運びこんでいたみたいだけど、
かなり、 命がけ。
@ 東播磨って、 別所氏、以外だと、どんな連中がいる?
「 明石 」、 「 魚住 」、「 孝橋 」、 とかぐらいか。
@ 別所氏の長年のライバル依藤氏。
三木のお隣、豊地城主。
赤松家中での勢力争いから、主家が内紛状態になると、 武力衝突に発展し、
依藤氏は、
浦上村宗・細川高国氏と組み、
別所氏を、三木城から追い出した。
三木城が陥落したのは、 この時と、
秀吉どんのとの、二度だけ。
@ 普通は、 一度を落城したら、 その家は、滅びるもんだ、と思っていたが…
どこに潜んでいたんだろう。
@ 別所政権の滅亡の原因は、 2人のアホな叔父さんのせい。
長治パパが、もうちょっと長生きしていたらなぁ…
@ 別所吉親どんですか……。
https://ja.wikipedia.org/wiki/別所吉親
別所 吉親 ( べっしょ よしちか ) 氏は、
戦国時代から、安土桃山時代にかけての武将。
兄・別所安治氏が亡くなった後は、
弟・重宗氏と共に、 甥 ( 安治氏の子 )、の、
長治氏への後見を務めた
。
播磨国に、 織田信長氏の部将の、
羽柴秀吉氏が進出して来ると、
長治氏は、 信長氏に従属したが、
吉親氏は、 加古川城での会談で、
秀吉氏と衝突、 長治氏を説得して、
信長氏に反乱を起こした。
親織田派であった重宗氏は、浪人となっている。
天正8年 ( 1580年 )、に、
秀吉氏から長治氏に、 降伏との引き換えに、
長治氏とその弟の友之氏、に、 吉親氏らの3人の切腹で、 城兵を助ける
、 という旨を伝えられた。
しかし、 吉親氏は、反対し、あくまで、 城に火をつけて、 信長氏に首を渡さずに、
自らの体を灰にしてしまう、と言い、 自分の家に放火してしまった。
これを見て激怒した城兵に殺されて、
首は、 安土に運ばれてしまった。
@ 「 秀吉氏との個人的不和で、毛利方に 」 、ってのは、 別所に限らず、
中国戦線のいたるところで 、聞かれる話だな。
秀吉はどんは、 よほど、
地元豪族に、占領軍然とした、高圧的な態度で接していたようで。
@ 長治氏の叔父の、 吉親氏と重宗氏は、
仲が悪く、 重宗氏が、 織田方に接近したのも、
先見の明があった、 というよりは、
元々、 親・毛利派の兄を出し抜いてやろうとしただけでしょう
。
重宗氏の説得で、 織田につく事が決まった事が、
内心では、面白くない吉親氏が、
加古川評定での秀吉氏の態度の悪さを理由に、
反旗を翻したのではないでしょーか?
@ 吉親氏のヨメは、 巴御前ばりの女豪傑で、
戦場で大活躍したらしいっス。
@ 地元豪族で思い出したけど、
淡河城の淡河氏って、別所一族なの?
自分の城を捨てて、三木に合流するなんて、従順だな。
@ 淡河定範氏は、 別所家一の知恵者と言われた人物で、
祖先は、 北条氏ですが、
別所に従属してました。
馬を沢山に集めて、 織田軍に向かって放つ奇襲で、
緒戦は、 大勝したものの、
淡河城では、 とても支えきれないので、
さっさと火を放って、三木城に引き上げました。
合流後の戦いで、すぐ死んでしまったのが、
もったいない…。
@ ありがとう。 牝馬を放して、 敵を混乱させたって話は聞いた事ある。
で、北条氏って執権の? 、 出先機関の長ってことかな。
元々は、別所氏より格が上だったのかも。
@ 淡河氏は、 北条一門で、
淡河への地頭職でした。
鎌倉末期ごろの播磨は、
北条氏のテリトリーでした。
その頃は、 別所氏の祖先の赤松氏は、
悪党とよばれた、
反権力の武装ゲリラみたいな存在で、
淡河氏も、散々に苦しめられました。
鎌倉幕府の滅亡後は、ジリ貧状態になりましたが、
大出世した赤松円心どんと、 姻戚関係を結び、
一安心、と思いきや、
赤松満祐が、 嘉吉の乱を起こし、 滅亡した、
とばっちりで、 またも、 ジリ貧状態に舞い戻りました
。
それでも、 粘り強く生き残り、 戦国期には、
別所氏に従いました。
…て、なんだか救われない一族ですね(T_T)
@ 淡河城へ行ったことあるけど、
内堀とかが残っていて、良い感じだったなぁ。
二回目に行った時は、変な櫓 ヤグラ 、 が建っていたけど…
三木城も行ったことがあるけど、
遺構的なものは、見つけられなかったが、
何か残っているのかな…
@ 淡河城って、 ひょっとして、
道の駅の上のところですか?
@ そうです。 道の駅の裏の山です。
山って言ったけど、 上に上がると、
台地みたいな感じかな。
全体の規模は、よくわからないけど、
内郭は、 ホント小さな城です。
@ 淡河城は、 内郭は、 小さいけど、
地形を利用した、 かなり広大な堅城だったらしいです
。
今では、 まったく、ピンと来ませんが
( 失礼❗ ) 、 当時は、
播磨と摂津の国境に位置し、
街道沿いの交通の要衝だったそうです。
@ 三木城跡へは、行った事がないのに、
平井山本陣跡には、行った事がある。
なんか、プラスチック製のベンチと灰皿があって、
地元の老人の憩いの場なのか? 、 って思った。
あとは、 その近所の半兵衛重治どんの墓か。
@ 平井山や半兵衛どんのお墓のあたりは、
今や、すっかり、 葡萄畑ですねー。
@ 別所重棟氏に、 福島正則氏の姉が嫁いで
生まれたのが、 福島正之氏というのが、
定説だが、 嫁いだのは、
姉じゃなく、 妹だとか、
嫁いだ相手も、 重棟氏ではなく、
別の人物だとか
生まれたのも、 正之氏じゃなくて、
別人だとか、色んな説があるらしい
@ 別所重棟 ( 宗? ) 氏って、
三木落城後も、 秀吉氏に仕えたそうだけど、
主家を滅ぼした裏切り者、みたいに、
白い目で見られて、 肩身が狭かったりしたのかなぁ?
小早川秀秋氏みたいに。
@ 別所って、 毛利と似ているよね。
当主を補佐する二人の叔父が、兄は、反織田羽柴、
弟は、 親織田羽柴に分かれて。
◆△ タバコ、に含まれる、 ポロニウム❗
、の、 放射能の度合いは、 ウラン、の、百億倍❗
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/331f5f874d775da192c7181173c12cad
ф◆ 気道をふさぎ、 窒息死❗ 、 もさせる、 アレルギーら❗
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/f70afef04aa2a2ea21a009870d03ab70
◇§ 喉で、つながり得る、 餅ら❗
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/ce02a3b9abb229022e63a4bc882ed7f1
▼@ 放射線による障害性らも軽める、 微太 C❗
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/312a2aec3e9894e6f4c521957245a3bf
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/012dd20f8105f226e6bddf6c6f473e02
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/149bcaddae5d073f67f1feca9d3642c8
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/4d9d887b344626207f08844fa9cca572
☆ 三橋貴明氏❗
;
なぜ電通は社員を個人事業主にしたいのか?
2020-11-18 7:07:57
「潜在成長率の誤解に殺される(前半)」三橋貴明 AJER2020.10.26
日米に格差拡大をもたらしたトリクルダウンという「貨幣のプール論」[三橋TV第315回]
日米に格差拡大をもたらしたトリクルダウンという「貨幣のプール論」[三橋TV第315回] 三橋貴明・高家望愛
【RE:明るい経済教室 #14】統計マジック~日銀と内閣府ですら統一されていない「デフレギャップ」の話[R2/11/17]
本日はチャンネル桜「Front Japan 桜」に出演します。11時からLive放送です。
消費税中間納付の時期ですが、経営者の皆さん、払えていますかっ!(挨拶)
やっと、本件を取り上げることができるのですが、
消費税の「節税方法」をご紹介いたしましょう。
( ※違法では、 ありません )
消費税は実際には「消費への税」ではなく、付加価値税です。
消費税の金額は、課税の対象な、 「 売上 」、 に消費税率を掛け、
その金額から
課税の対象な、 「 仕入れ ( 売上原価 ) 」 、 の税額分を
控除して ; 差し引いて 、 決定されます。
式にすると
、
◆課税売上 ✖ 消費税率 ➖ 課税仕入 ✖ 消費税率 = 納税額
となります。つまりは
、
◆( 課税売上 ➖ 課税仕入 ) ✖ 消費税率 = 納税額
です。
売上や仕入れが全て課税対象と仮定すると
、
◆( 売上 ➖ 仕入 ) ✖ 消費税率 =
付加価値 ( ※粗利益 ) ✖ 消費税率 = 納税額
になります。
だからこそ、わたくしは(大雑把に)
「消費税額は粗利益 ✖ 税率」と説明しているのです。
最後の式から、
課税の対象な、 「 仕入れ 」、が多い場合、 消費税が減る❗
ことが分かります。
つまりは、 消費税の増税は、 企業に
「 課税仕入を膨らませたい❗ 」、という、インセンティブを与えてしまうのです。
現在の税制では、正規社員の給与は
「 課税仕入 」、には、入りません。
ところが、
派遣社員の派遣料や、フリーランス ( 個人事業主 ) 、に支払う
業務委託料 ( 外注費 )、 は
「 課税 仕入 」、 に含めることが、 可能な仕組みになっているのです。
結果的に、企業に
正規社員の派遣社員化、フリーランス化のインセンティブが働きます。
というわけで、企業が、 「 人手は、必要だが、 消費税額は、減らしたい❗ 」
、 と考えた場合、
「 ピコーンッ!ひらめいたっ! 正規社員を個人事業主にして、
業務委託契約で働いてもらえばいいんだ❗ 」
と、なるわけです。
年収が、 500万円の社員を「独立」させ、個人事業主とし、業務委託契約にすれば、
それまでの、 「 人件費、な、 500万円 」 、が課税仕入に入るため、
粗利が減り、消費税を節税できます。
さらには、個人事業主に対しては、企業は
社会保険を負担する必要がありません。
消費税を減らし、保険料の負担が無くなり、一粒で二度美味しい❗
ちなみに、個人事業主となり、企業との業務委託契約で働く「元従業員」は
免税業者(売上1000万円以下)であるため、消費税を支払っていません。
つまりは、全体として普通に「節税」できています。
ここからは、怖い話。
会社から、
「新しい働き方だよ!」
「創造性を発揮し、懸命に働けばいくらでも稼げるよ」
といった「あま~い話」をささやかれている人は、真剣に読みましょう。
まずは、「正規社員の個人事業主化」は、いわゆる
ジョブ型雇用の一種と認識できます。
すなわち 、貴方が
会社に提供している業務(仕事)の必要性が無くなれば、
普通に契約打ち切りになります。
これが、正規社員の場合はなかなか解雇できませんし、業務が無くなった場合は
「配置転換」することになり、雇用は守られます。
それに対し、個人事業主に対して
業務委託契約を「更新しない」のは簡単です。
配置転換などと面倒なことを考えずとも、すぐに費用を削減できます。
さらに、こちらの方が怖いのですが、2023年に
インボイス制が採用される予定になっています。
細かい話は省きますが、
インボイス制になると、売上1000万円以下の個人事業主も
消費税を支払う必要に迫られます。
となると、業務委託契約をしている会社に消費税分を上乗せし、
(元々の年収が500万円なら)550万円で請求する必要が生じます。
「は? 何言ってんの? 10%も値上げって、正気? 契約切るよ」
と、言われると、消費税分を「自分で飲む」ことにならざるを得ません。
年収の10%近くが吹き飛びます。
【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】
特別コンテンツ「歴史に魅せられて、myが聞いてみた~第一回 歴史時事編~」公開中!
http://keiseiron-kenkyujo.jp/keiseishiron/
さて、何の話をしているのか、お分かりですね。
『電通、社員230人を個人事業主に 新規事業創出ねらう
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66103760R11C20A1916M00/
電通は一部の正社員を業務委託契約に切り替え、
「個人事業主」として働いてもらう制度を始める。
まずは2021年1月から全体の3%に相当する約230人を切り替える。
電通では副業を禁止しているが、新制度の適用を受けると兼業や起業が可能になる。
他社での仕事を通じて得られたアイデアなどを
新規事業の創出に生かしてもらう考えだ。(後略)』
うんっ! こんなデフレが深刻化した国で、「新規事業の創出」なんて、
スティーブ・ジョブスでも不可能だから。
電通は、単に消費税節税や元・社員の社会保険料節約で利益を拡大したいだけです。さらには、「業務委託契約打ち切り」で、いざというときにはすぐに切れる。
悪いけど、高々「他社での仕事を通じて得られたアイデア」程度で事業を起こせるほど、デフレ日本は甘くないから。というか、日本がデフレから脱却し、市場が拡大している時期ならば、別に社員として他社なり他産業のことを勉強し、「我が社」のために事業を起こすことは可能です。
デフレでは、不可能。絶対に、やめなさい。
市場が縮小している時期に
「独立して、創業を目指す」など、狂気の沙汰でございます。
繰り返しますが、電通は
「利益捻出」と「いざというときに切れる労働力」を求めているだけです。
それでもどうしても外に出たいというならば、業務委託契約の際に
「消費税分」を上乗せした金額で契約しなさい。
そうしなければ、2023年に首くくる羽目になるよ。
(高めの金額で契約したところで、会社から
「契約打ち切り」と言われれば、それまでなんですけどね。)
でも、まあ、こんなことやっていると、企業から
「人材」という最も重要な供給能力が消滅し、
コア・コンピタンス(中核能力)は落ちていく一方なんですけどね
(というか、落ちてきた)。
などなど、「なぜ電通は社員を個人事業主にしたいのか?」について
お話ししてきましたが、いかがでした?
消費税は、日本の雇用環境を明らかに「悪化」させる税制なのです。
だからこそ、悪魔の税制と呼んでいるわけであり、日本国の繁栄を望むならば、
消費税は「廃止」一択なのですよ。
「消費税は廃止一択だ❗」に、ご賛同下さる方は、
↓このリンクをクリックを❗ 。
◇◆ 『 グルタチオン Glutathione 』 ;
GSH ; Glutathione-SH ;
、は、
【 3つの、 アミノ酸 ;
( グルタミン酸 、 システイン 、
グリシン )、 から成る、
トリ・ペプチド 、 であり、 通常は、
あまり、見られない、 システイン 、の、
アミノ基 ; NH2 、 と、
グルタミン酸の側鎖側の、
カルボキシ基 ; COOH 、
との間に、 『 アミド 結合 』 ;
≒ 『 O=C-N-H 』 ;
、 を帯びてある 】 ;
【 C10 H17 N3 O6 S 】 ;
【 電子強盗な、 活性酸素、 への、
除去員としても、 重要❗ 】 ;
。
☆ 三石分子栄養学 ➕ 藤川院長系❗
;
◇ パーキンソン病への治療例
;
症例: 60代の後半、女性。
5年前から、 パーキンソン病と診断され、
神経内科で、治療を継続している
、
症状は、 右手足の震え、 体が硬い、 足が前に出にくい。
処方薬は、ミラペックスLA 1.5 mg
➕ ネオドパストン LA 100 mg ✖ 4.5 。
五日市酵素風呂からの紹介で、 R2.4 、に、 当院を受診
。
このまま、動けなくなるのでは❗ 、 という、 不安が強い。
振戦が目立ち、 歩行も緩慢。
【 色々な、アミノ酸たちから成る、 タンパク質を、よく摂取し、
『 炭水化物 ➖ 食物繊維 』、 な、 『 糖質 』、 への摂取を少なくする 】
、
→ 高タンパク / 低 糖質 食 ➕ プロテイン 20 g ✖ 2 。
生食 50 ml ➕ グルタチオン ( 200 ) 9A
➕ ビタミン C ( 1 g ) 1A 、 の点滴を行った。
一週後に再診、
初診時の、 BUN ; 10・1 、 フェリチン ; 134 。
◇◆ 『 BUN 』 ;
【 その体に、 あり得る、
タンパク質らの度合いを反映する、
窒素 N 、 を含む、
『 尿素 窒素 』 】 ;
。
◇◆ 『 タンパク鉄 』 ;
【 タンパク質に、 包まれ、
封をされて、 危険な、
電子強盗、 を仕立てる、
反応らを成す、 鉄 イオン 、な、
状態を成さないように、
封じ込められてもある、
『 鉄 タンパク 』、 であり、
『 貯蔵 鉄 』、 な 】 、
『 フェリチン 』 ;
◇◆ 『 鉄 Fe 』 ;
【 その原子の核を成す、 正電荷、な、
陽子 、が、 26個 、があり、
よって、 その原子番号が、 26 、 な、
金属である、 元素 、で、
人々の体らにおいて、
エネルギーら、を、能く、成す、上で、
タンパク質ら、と共に、
より、 それへの摂取らを、
欠かす訳には、行かない、
極めて、 重要な、 代謝ら、への、
補因子、 な、 ミネラル 、であり、
タンパク質な、 酵素 コウソ 、
と、 一定の度合い以上で、
合体をする事により、 初めて、
その、 タンパク質、 と、
代謝な、 働きを成し合い得る、
代謝員 、 でもある、 元素❗ 】 ;
。
プロテイン 20 g ✖ 3 、 を飲めている。
◇◆ 『 プロテイン 』 ;
≒ 【 色々な、アミノ酸たちから成る、
『 タンパク質 』 】 ;
『 タンパク質な、 サプリメント 』 ;
、
◇◆ 『 アミノ基 ➕ カルボキシ基 』 ;
【 タンパク質らの各々を構成する、
色々な、 アミノ酸たち、 においては、
共通する、 属性な事として、
アミノ基な、 NH2 、 と、
カルボキシ基な、 COOH 、 とを、
必ず、 その分子な身柄に帯びて、 成る、
という事が、 あり、
従ってまた、
色々な、アミノ酸たちから成る、
どの、 タンパク質 、も、 必ず、
その身柄に、 NH2 、 と、
COOH 、とを、 帯びて、 成る❗ 】 ;
。
◇◆ 『 プロテイン・スコア 』 ;
【 人々の体に必要な、 タンパク質ら、
の、各々を構成する、 のに必要な、
色々とある、 アミノ酸 、たちの、
そろいようの度合い ;
タンパク質価数 、 とでも言うべき物 ;
、 であり、
人々が、 その体の外側から、
必ず摂取すべき、 8種類の、
必須 アミノ酸 、 を、 一つでも、
欠いてある場合のものは、
0点 、 とされ、
卵 、 と、 蜆 シジミ 、だけが、
満点の、 百点 、 を、
宛 ア てられてある 】 ;
。
炭水化物な、 糖質は、 減らしている❗ 。
点滴の効果は、不明。
→ ビタミン B群 、な、 B50 、
ビタミン C 達な、 C1000 、
子宝 ビタミン E1 、 などな、 E400 、を開始。
点滴は、 2週毎に継続。
◇◆ 『 ビタミン B群 』 ;
【 ビタミン B3 、 であり、
ニコチン酸 、 でもある、
人を眠らしめ得る分子な、『 ナイアシン 』 、 だけでも、
5百種 、 以上 ❗、 もの、
代謝に必要とされてある、
『 ビタミン B群 』 ;
。
◇◆ 『 ビタミン C 』
;
【 疫鎮 ヤクチン ; ワクチン ;
、らの、 あり得る、 副作用ら、 の、
度合い、を、 より、 軽減もし、
ウィルス 、らの本体を、
断ち切りもし
、
実験らでは、
肺病を成す、 結核菌たちを、
全滅させもし
、
繊維状、 な、 タンパク質 、である、
コラーゲン 、 たちを、 より、
丈夫に成す、事において、
血管らを構成する、 組織ら、を、 より、
丈夫に成しもし
、
免疫員、な、 白血球たちの各々を、
より、 活性化して、
働き者にしてやりもし
、
その体に、 不具合ら、 が、
余計に、 あれば、ある程に、
より、 大量に摂取しても、
腹が、 より、 下らなくなり、
腹の、ゆるみ、や、 下りよう、を、成す、
それへの摂取らの度合いが、
その体の中の、不具合らの、
度合い、への、目安になる
、
『 補酵素 ホコウソ 』 、
では、 あるが
、
それ自らの、 電子強盗化による、
あり得る、 加害性らへ対しては、
『 子宝 ビタミン E1 』 、 らにより、
差し止めるべき、 必要性もある❗ 】
、
『 ビタミン C 』 ;
【 C6 ➕ H8 ➕ O6 】 ;
。
◇◆ 『 ビタミン E 』 ;
【 人々が、 大量に撮るべき、
ビタミン C 、 などが、
他者から、 その枠内の、 電子を、
自らの側へ、 引き寄せて、 奪う、
電子強盗になる事を、 未然にも、
より、 差し止め、
子宝 ビタミン E1 、 を、
はじめとして、 色々とある 】 ;
【 バス・ジャック事件に巻き込まれて、
大火傷を負わされた後に、
女流作家に成った、 日本人が、
ビタミン E 、 の、 大量な、
肌への塗布、 や、 摂取により、
その火傷した肌の健全性を、 大いに、
回復し得た例、 などが、
報告されている❗ 】 ;
『 ビタミン E 』 ;
【 C29 ➕ H50 ➕ O2 】 ;
。
R2.5、
少し元気になり、落ち込まなくなった。
R2.6、
かなり元気になり、前向きになった。
糖質は、かなり、減らしている。
→ ナイアシン・アミド 、を追加。
点滴は、 3週毎に継続。
◇◆ 【 ビタミン B3 、 で、
5百種 、以上もの、 ❗、
代謝ら、に、必要とされている、
『 ニコチン 酸 』 、でもある、
『 ナイアシン 』 ;
水へ溶ける、 水溶性な、
代謝員であり、
脂溶性な、代謝員ら、などとは、異なり、
より、人々の体での、備蓄性に欠ける❗ 】 ;
【 C6 ➕ H5 ➕ N ➕ O2 】 ;
、 と、
それに近い、
『 ナイアシン・アミド 』 ;
【 C6 ➕ H6 ➕ N2 ➕ O 】 ;
。
R2.8、
気持ちが明るくなった。
R2.11、
振戦が軽減して、動きが楽になった。
周りからも、そう指摘される。
→今後も、 点滴は、3週毎に継続を予定。
ーーーーーーーーーーーーー
☆ 藤川院長❗
;
パーキンソン病に対する、 グルタチオン 、の点滴は、
約 70 % 、 の人に効果がある。
ほとんどの人は、
点滴の直後から、動きが良くなり、スタスタ歩けるようになる。
効果の持続は、 約 2週間。
当症例では、 最初は、 効果を認めていなかった。
しかし、
プロテイン ➕ 糖質制限 ➕ メガ・ビタミン
、 を併用することで、 効果を認めている❗ 。
現在は、 3週毎に点滴としているが、 効果が持続している。
元な記事は、こちら
www.facebook.com
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/0ebee4d8645ed01c895ece8f52440268
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/494b452fa10eb9b2ef7ac6bc47d599f4
https://blog.goo.ne.jp/callthefalcon01/e/fb27c08f73cce40915a0c6ed8280b9de
◇◆ 人道性の主として、必須の事ら❗
;
【 本当に、不思議な事がある❗
。
もう、20年も前から、 事実らに基づかない、 反日プロパガンダ犯罪行為である、
主張な事らが、 事実らに基づき得ていない、
主張する側の、自己投影性のものらである❗、
事が、 日本でも、公に明かされ、
中央政府である、 日本政府の、財政での緊縮が、
日本人たちへ、 『 デフレ 不況性 』、 を押し付けて、
日本人たちを、順繰りに、 死や、犯罪へ、追いやるものである❗
、事が、
リチャード・クー氏や、 三橋貴明氏に、
我方ら、などによって、 公に明かされ得て来てある❗
、
にも関わらずに、
日本の主権者であり、 自らの世の中の主である、
一般の日本人たちが、
それらについて、 知らない振りをしながら、
反日員らの側を、 有利にし続けている、
日本で、 社会的な、影響性のある、 有名人らなり、
芸術家らや、芸能人ら、などなり、へ
、
『 あなたや、 あなたのスタッフなどの、
あなたの側の者らは、
日本人たちから、 様々な恩恵を得て、
自らを成し得てある立場にありながら、
なぜ、 公に指摘して、 一般の日本人たちの足しに成る、事を、
せずに、 20年ほども、 知らない振りをして、
反日員らの側を有利にする、立場を公然と取り続けているのか❓、
より、 早くに、日本人たちの一般の足しになる、
指摘すべき事らを、自らも、指摘する事に基づけて、
自分の仕事らなどをすべきでは、ないのか❗ 』
、
といったように、 問責などをしない❗
事だ。
あなたが、 日本の主権者で、 今後も、
日本の主権者である事を、自分に予定する主であったり、
そうした日本人たちと、 よしみを通じ、
より、 平和性を成し合う事を選ぶ、
海外などの出の、 人であるならば
、
日本で、社会的な影響性の、あり得る、
誰へでも、 その公に、あるべき、指摘らを欠いてある事へついて、
問責するぐらいの事は、 当然に、 成すべき、
立場にもある❗ 。
日本人たちの一般は、
反日プロパガンダ犯罪行為らや、
『 デフレ 不況性 』、の、押し付け、によって、
確実に、順繰りに、 死や、倫理的な被害性ら、を、
押し付けられるべき、 自らの社会の全体な状況に、
嵌め込まれており
、
第三者にとっても、
それが、 人道性を成し行うべき、人である限りは、
その改善をする向きに、働かざるを得ない、
苦境の真っ只中へ、 無理やりに、
据えられてある❗ 。
第三者を気取り、
世界市員、 などを気取る者らでも、
人道性を成し行うべき、 人間性の主である、からには、
日本人たちの一般の苦境へ対し、 自ら進んで、
その改善を成すべき、立場にある❗ 】
。
毎日にでも、 いつ、に、でも、
人道性を成し行うべき、人間性の主らは、
日本で、社会的な影響性のある主らへ、
その、公にすべき、指摘ら、などの欠けてある❗
、 事を、 批判も、非難もする、
銘留 メル ; メール 、でも、
電話でも、 手紙でも、 口頭での発信でも、
どんどんやるべきなのだ❗
。
YouTube 、でも、 どこでも、
どんな分野を扱う場でも、
ガンガンやるべきだ❗
。
松任谷由実女史らのもとへも、
さだまさし氏らのもとへも、
中島みゆき女史らのもとへも、
井上陽水氏らのもとへも、
羅辞 ラジ ; ラジオ 、 らへも、
照演 テレン ; テレビ 、らへも、
ガンガン、どんどん、送信すべきだ❗
。
日頃には、 ヒトへの仲間の振りをして、 その恩恵を得て置きながら、
その苦境に、見て見ぬふりをする者らを放任しては、ならない❗ 。
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