経済参謀

個人や私企業らの各々の個人経済系とは、
異なり、 通貨ら等の効果らが、
自己循環する、 国民経済系などの、天下経済系への体系的な認識の構築を通しても、
日本の主権者である、 日本国内らに在るべき、福利らの拡充を成す事に必要な、
情報事項らを提供する

火焔茸❗ ➕ ジャンヌ・ダルク嬢❗ ➕ ;歴史拾遺 ヒロイ ; 解放を急ぐべき、 シナによる、 桜木琢磨市議ら 実質 拉致事件ら❗

☆ 火焔茸❗ ➕ ブラッドリー効果❗

➕ ジャンヌダルク嬢❗ ;


オバマ候補とブラッドリー効果

2012/ 12/15 14:27:2


ヤフー問題 自回答保存 : 

アメリカ大統領選挙で、オバマ候補が、

かなり有利な状況になってきましたが、 それにつれて、

「 ブラッドリー効果 」、 について、

あちこちで、 取り沙汰されています。

これを乗り越えて、オバマ候補が、このまま勝つ

、と思いますか 

解決 2008/ 10/25 21:38 : 

黒人系候補へは、投票せず、 白人候補へ投票したいのだが、 

誰彼から、「 人種差別主義者 」

、と思い観られる事を嫌がり、

聞き取り調査を受けた時などは、 

「 黒人系の候補へ投票するつもりがある、

かの様に答えて置きながら、

実際には、白人候補へ投票する 」

、 実際にいる、一定数の人たちに関するものだった

、 と思いますが

( ブラッドリー効果 )

そういった人たちと、そうでは無い人達による、

事前な調査の上での、 投票の配分と、

実際の投票配分との差をできるだけ無くそうとする試みとして、

子供たちを調査対象として、実際の投票を占う

、 というものがあるようです。 

子供たちは、 

その家庭において、 その両親なり、片親なりの、

日ごろの言動らに触れ、 それの影響を多大に受ける所がある ;

( そういった事が、よりよく当てはまる、年齢層

、 などの子供達を選ぶようです )

、ので、

それを利用して、

大人たちの実際の投票行動のおおまかな全容を推し量ろう

、という、 試みである様です。


まあ、 それは、 それとして、

経済問題の深刻さが、

アメリカ社会の各層に広範に認められつつある、

現状は、

経済に、一定以上の体系的な認識がありそうな、

オバマ氏にとって、 その米国大統領職の獲得に、

有利に働きつつあるようですし、

この経済問題の解消には、まだまだ、

時間がかかりそうですから、

マケイン氏が、経済通の参謀らを揃えるだけでなく、

自らも経済面の事柄を猛勉強して、

彼の経済参謀らの助言を効率的に活かし得る以上の、

人物足り得ている事を、世間一般の人々に、

極めて印象的に訴呈 ( アピール ) する事ができない限り、

オバマ氏に軍配が上がる可能性は、相当に大きいもの

、 と思われます。



▲△ 火焔茸❗ ;

◆ 肌からも 死に神をやる 火焔茸

毒を鎧える 山の伏兵・・❗


@ 化学兵器と同等レベルの毒性を持ち、

「 森の中のマスタード・ガス 」 、とも異名を持つ。

:

そんな、危険過ぎる毒キノコの、火炎茸 カエンタケ 、が、

今にては、 主に、 西日本の山々で激増して、生えている❗

登山コースのすぐ近くにも生えてきている。


「 触るだけでも、死ぬ❗ 」

可能性がある、毒キノコなので、

真っ赤な炎のような形をした、キノコを見たら、 要注意だ❗

似た様な形の、 ベニナギナ茸、なる、

食用のキノコらと、間違えるな❗


日本国内では、 カシノナガキクイムシによる、

ブナ科の樹木の枯死例 ≒ ナラ枯れ❗ 、が増えており、

これに伴い、 火炎茸の発生例も、 普遍的なものになりつつある

、との指摘があるが、

この虫らが、カエンタケらを直に伝播しているのではない。

致死量は、 わずか、 3g 、程だ❗

その子実体の生重量程で、 日本では、

6例程の中毒事例らが報告され、 計 ➕名の中毒患者らが出ており、

2人が死んでいる❗

殺人事案などに使われ、 明るみに出ていない事例らもあろう。

触るだけでも、皮膚が爛 タダ れる❗

触れたり、食べたりした後の、 ➕分前後の短時間で、

症状らが現れる。


初期には、 消化器系の症状が強く、

腹痛や、嘔吐に、水様性の下痢を呈する。


その後に、 めまいや、手足のしびれ、と、

呼吸での困難性や、言語での障害に、

白血球と血小板らの減少とか、

造血機能の障害に、全身の皮膚のびらん、や、

肝不全に、腎不全や、呼吸器の不全

、といった、多彩な症状らが現れ、致死率は、高い❗

回復しても、 小脳の萎縮や、言語の障害と、

運動での障害、か、脱毛や皮膚の剥落

、 などの、後遺症らが残る事がある。


@ かび毒 : マイコトキシン

≒ 当て字をするなら、 舞子時針 、として知られている、

トリコテセン類 ≒ ロリジンE、ベルカリンJ: ムコノマイシンB:

≒ 当て字をするなら、 婿の舞針

、サトラトキシンH 、と、そのエステル類の計6種類

、が、 火炎茸から検出されている。


いくつかの中毒例らでは、

外観が、やや類似している食用キノコの、 ベニナギナタタケ

Clavulinopsis miyabeana 、や、

『 冬虫夏草 』 、 などとと誤って、摂取されている❗

紅薙刀茸は、 子実体が細い棒状で、

肉質が、もろくて、崩れやすく、

ほとんど、無味なのに対し

火炎茸は、硬い肉質で、 内部組織は、白く、苦味がある。


冬虫夏草の類では、 その子実体の基部が、

様々な昆虫やクモ類の虫体、か、地下生の子嚢菌から成る。


子実体などに連結するので、

冬虫夏草は、 地中部まで、丁寧に掘り込めば、

誤認する事は、 少ないらしい。

:

@ 風邪薬、解熱薬に、地竜、か、地龍

、と書いてあれば、

それは、乾燥させて、砕いたミミズ

漢方系は、 特に注意ね。

¢ 毒を盛る 赤い殺し屋 火炎茸

触れば、迫れる 死に神の鎌・・。

:

¢ 毒ならば 我も得意と 火炎茸

罠を目立たせ 潜む死に神・・。

:

¢ 隠れなき 目立つ伏兵 火炎茸

浴びる血潮に 燃える殺し屋・・。


▼ 目立つ罠 我が身に鎧う 火焔茸

毒の振るわす 死に神の鎌・・。


@ 猫は、人の感じる甘みとは、違う物らから、

甘味めいた感じを覚え得ている可能性があるらしいよ。

蟹とか、帆立などの、アミノ酸が、

猫らに喚起する感覚では、 人にとっての、

甘み、である感覚と似ている❗

、可能性があるって、何かに書いてあった。 :

:

@ 赤道直下や南国の人らは、怠け者なのでなく、

暑すぎて、働けないんだよ。

早朝や夕暮れ時などの限られた時間に、

農作業をせざるを得ない。

あなた方だって、40〜50度のカンカン照りの中で、

連日に、 屋外で働いてたら、体を壊す。


@ 猫へ、甘エビをやったら、いけない❗

イカによるのと、 同じ症状を起こすよ :

@ 家の妹が、子供の頃に、庭へスズメを呼ぼうと、

パンを細かくちぎって撒いたら、どこかの猫が来て、食べた事がある。

妹は、悲しみの余り、

「 にゃんにゃん、パンパン、にゃん、ぱんぱん、

にゃんにゃんパンパン食べ食べ食べ‥ 」

、と、 ドンパン節の替え歌をうたってた。

:

@ 猫らの中に、 多少は、

甘味も感じるのが居るかも知れんよ。

色盲、とも言われるが、 犬を使った実験では、

少なくとも、特定の色への見分けは、 出来るらしい

、 結果が出ている。

青だったかな。

モノクロの濃淡で、 判断を出来ない様に、

濃さを合わせて、実験された。


@ 猫だけじゃなく、 肉食の獣は、 基本は、

甘味は感じない物だ。

逆に、 草食や、雑食の獣は、甘味を感じる。


理由は、 食性の差。

体に必要な物を選別する情報事項らの一つとして、

味覚があるが、

肉類を喰う分には、

甘味を感じる能力は、余り、重要ではない。


草食や雑食の場合は

( 糖 ≒ 炭素の、6個

➕ 水素の、12個 ➕ 酸素の、 6個 ;

≒ C6H12O6 、等らの )

甘い物は、 栄養価の高い物❗ 、という事で、

積極的に摂りたい物だ。


≒ 【 小柄な、恒温動物たちとは、 異なり、

より、 大型の恒温動物な、 人々においては、

代謝らに障害性ら、が、 無い❗

、 より、 通例な体質である限りは、

炭水化物な、 糖質への摂取は、 より、

『 糖化の害 』、らを成すものでしかない❗

よく、 運動をし、 より、

インスリン 、を、追加で、分泌させずに、

筋肉らで、 糖質を消費し得る人々においては、 より、

『 糖化の害 』、の成る、度合いが、

少ない、 事は、 考えられる 】


肉食獸が、 糖分らをとっても、 吸収を出来ない訳でも、

栄養にならない訳でもないが、 自然に在る物らで、

甘味のある物を積極的に摂取した場合には、

肉食に適応した、消化器官や、

体内での栄養分らの合成の都合な上で、 よろしくないので、

甘味を感じない様になっている。


肉食の場合は、 アミノ酸や脂 ヤニ 、 アブラ

、等に強く反応する場合が多い。


猫は、 甘エビの場合は、

アミノ酸、へ反応し、

ソフト・クリームの場合は、

乳脂肪分へ反応しているんだろう。 :


家の猫は、毒だから、ダメだというのに、

やたら、チョコを欲しがってたw :

チョコに含まれる、 植物性の油脂に反応していたっぽい。

:

【 進化論の一定部分以上を踏まえた考えで、

水 ≒ H2O 、らを清らかに感じ、

大便などの原子らの構成ぶりを反映する様らを、

汚く感じたりする様に、 全ては、

清らかさの感じの直の対象でもなく、

汚らわしさの感じの直の対象でもない、

原子らの構成ぶりの結果な現象でしかないのに、

その、ある構成振りの結果な現象を、

清らかな感じの宛とし、

別の、ある結果な現象を、

汚い感じの宛とするのは、

祖先らから、人為的な淘汰や、

人為的でない淘汰らを、経て来ている途上で、

子孫らを残すに足る、性的な成熟性などを、 我が身に成すまで、

我が身を生かすに当たり、

水素Hの2個と、酸素Oの一個とから成る、水分子らの間に、

他の類の原子や分子らが、一定の度合いな範囲内で、

混ざった、液体を、

肯 ウベ なわしく感じる機能系を、 我が身に成し、

毒として働く度合の方が、 余計な液などを、

否ましく感じる、 それを発達させ得た

、といった考えよう 】


@ 文明の発達って、

社会が、 食料の生産から解放された人らを、 どれだけ養えるか、

他の社会らに潰されなかった期間が、どれだけ、

連続してあったかってのが 、重要な。

@ 鬱病の患者と健常者に、

現状への認識の能力を問う、 心理テストを行ったら、

鬱病の患者の方が、 好成績だった。


つまり、 精神的に健康な状態とは、

ある程度は、 根拠の無い、自惚れや、

幻想を持っている状態らしい。 :

▽ 未来を望ましく思い構えようとする志向性が、

心のどこかに主軸として在るから、

自惚れや幻想などに励みを得て、 前向きに生きて行ける

健全な精神らは、前のめりな態勢にもある

今と未来の自分らへの肯なわしい望みを絶って在る度合が、

一定以上にある事が、

自惚れや、自分の、社会交際な上での、

望ましい在りよう、 等への、

望みらの成立ってある度合を、

一定以下にしてある事でもあるなら、

そうした精神状態らの中には、

鬱病の症状な事らを成している物もある

、という事になるのだろう。



      ▽◆ ジャンヌ・ダルク嬢❗   ;


http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html :


@ フランスは、 カレーで、

住民と、難民、及び、難民への支援団の者らとが、もめて、

自宅の庭へ、何かを投げ込まれたりした住民が、

怒り狂って、銃を向けている様を移した動画だ。


CALAIS : UN HOMME BRANDIT UN FUSIL CONTRE LA MANIFESTATION DES MIGRANTS


@ 難民と支援団体側の者らが、中指を立てている(笑)。

日本でも見た事がある風景だが、 

マイノリティー ≒ 少数派

、とか言ってるゴミ共が、大勢で脅すのは、

どの国でも、同じなんだな。 

@ カレーは、 百年戦争で、

ジャンヌ・ダルク嬢の率いた軍隊の活躍でも出てくるが、

第2次大戦での、ノルマンディー上陸作戦でも有名だよ。

今の時期は、 牡蛎 カキ が美味くて、

観光地としても名高い街だ。 

@ Jeanne d'Arc 、過去: Jehanne Darc 嬢 ;

≒ ユリウス暦の、 1412年頃1月6日 - 1431年の5月30日 、は、

日本の足利時代の、第3代の、 征夷大将軍の、 足利義満氏から、

第4代の将軍の頃の、 千4百年代の、15世紀の、

フランス王国の軍人で、 フランスの国民的女傑であり、

カトリック教会らにおける、 聖人でもある。


オルレアンの乙女: la Pucelle d'Orleans 、とも、呼ばれる。

ジャンヌ・ダルク嬢は、 今のフランスの東部に、

農者の娘として生まれ、 神の啓示を受けたとして、

フランス軍を率い、 イングランドとの、百年戦争にて、

重要な戦いに加わって、勝ち❗

後のフランス王の、 シャルル7世への戴冠に貢献したが、

ブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、

身代金と引き換えに、イギリスへ渡され、

イギリスと通じていた、ボーヴェ司教のコーションにより、

「 不服従と異端 」、 への疑いで、審問にかけられ、

異端との判決を受け、

19歳で、火あぶりの刑に処せられて、その生涯を閉じた。


ジャンヌ・ダルク嬢が殺されて、25年の後に、

ローマ教皇の、 カリストゥス3世の命で、

彼女への復権裁判が行われ、

ジャンヌ・ダルク嬢の無実と殉教が、宣言された❗

彼女は、 1909年に、列福され、 20年には、列聖され、

フランスの守護聖人らの➖人 、となった。


ジャンヌ・ダルク嬢は、 フランス王国の、王太子の、

シャルル7世を助けて、

イングランド王国軍に占領されていた、フランス領を奪還せよ❗

、 という、 神の「 声 」 を聞いた、とし、

これを信じた、シャルル7世は、

イングランド軍に包囲され、 陥落寸前だった、 オルレアンへ、

ジャンヌ嬢を派遣し、 オルレアンを解放する任に当たらせた。


オルレアンでは、 古参の指揮官らから、冷ややかな態度で迎えられたが、

わずか、九日間で、 兵らの士気を高め得て、

ジャンヌ・ダルク嬢は、 徐々に、 その名声を高め、

続く、重要な、幾つかの戦いらでも、勝利に貢献し、

劣勢を挽回した、 シャルル7世は、

ランスで、 フランス王の位に就く事ができた❗

フランスを救い、 シャルル7世の戴冠に貢献した事から、

ジャンヌ・ダルク嬢は、

西洋史上でも、名高い人物らの➖人となった。

 

ナポレオン1世から後では、 フランスでは、

派閥を問わず、 多くの政治家らが、

ジャンヌ・ダルク嬢を崇敬している、と、いわれる。

:

世界的に著名な作家や、映画監督に、作曲家らが、

ジャンヌ・ダルク嬢を主題とした作品を制作している。

:

一味散々、の年の、 1333年、に、

新田義貞氏が率いた、 後醍醐天皇軍が、 鎌倉幕府を討ち滅ぼした、

4年後の、 1337年に、勃発した、 百年戦争は

フランスの王位をめぐる、 フランスの国内の混乱に乗じて、

イングランド王が、

フランスの王位への継承権に介入しようとした事が発端で、

殆ど、全ての戦らが、 フランス内で行われ、

イギリス軍の焦土作戦により、

フランス経済は、壊滅的な打撃を受け、

黒死病もあって、 人口が、減り、

対外貿易らも途絶えて、 外貨ら ;

≒ 外国らの宝物や生活物資ら ;

、が、入ってこない状況にあった、フランスの軍勢らは、

数➕年間も、大きな戦いに勝っておらず

イギリス勢が、フランスを、ほぼ、掌中に収めかけていた時期に、

ジャンヌ・ダルク嬢は、 立ち上がった。


或歴史家が述べる所では、

「 フランス王国には、その前身の、13世紀の、

カペー朝の面影すらなかった 」 。


  ジャンヌ・ダルク嬢が生まれた、

室町幕府の、第4代の征夷大将軍の、 

足利義持氏が、将軍職に就いていた、 

1412年頃の、 フランス王は

、 

シャルル6世だったが、 精神の障害の為に、

統治が、ほとんど、不可能な状態で、 

王不在ともいえる、不安定な情勢の下で、

シャルル6世の弟の、 オルレアン公の、ルイ氏と、

従兄弟のブルゴーニュ公の、 ジャン1世とが、

摂政の座と、王子達への養育権を巡って、激しく対立し

足利義満氏が死ぬ前の年の、 1407年に、 ルイ氏が、 

ジャン1世の配下に暗殺された事で、 

フランス内の緊張は、一気に高まった。


ルイ氏とジャン1世を支持する派閥らは、

アルマニャック派と、ブルゴーニュ派と呼ばれる様になり、

イングランド王の、 ヘンリー5世は、

その混乱を好機と観て、 フランスへと侵攻し、

英国軍は、 1415年の、

アジャンクールの戦いで、大いに勝ち、

フランスの北部の、 多くの都市らをその支配下に置いた。


後に、フランス王に成る、シャルル7世は、

兄の4人が相次いで死んだので、 

14歳の時から、 王太子と目され、 

彼が成した、最初の重要な公式活動は、 1419年に、 

ブルゴーニュ公国との間に、和平条約を締結しようとした事だが、

彼が安全を保証した会合の席で、 ジャン1世は、

アルマニャック派の支持者らに殺され、

父の、ジャン1世の後を継いで、ブルゴーニュ公となった、

フィリップ3世は、 シャルル7世を激しく非難し、

フランスとの和平条約を拒んで、

イングランド王国と、同盟を結び、

イギリスとブルゴーニュとの連合軍は、

多くのフランス領土らを支配下に置いて行った

。  

その間に、 室町幕府の第4代の征夷大将軍の、足利義持氏 :

元中3年: 至徳3年 、の、2月12日

≒ 1386年、 の、 3月12日 〜 応永35年、 の、 1月18日

≒  1428年、 の、 2月3日 。

将軍に在任:

応永元年 ≒ 1394年 〜 応永30年 ≒ 

1423年 、は、

父の義満将軍の死後に、勢力を盛り返す、

守護大名らに対して、 調停主として、機敏に立ち回った。


彼が、将軍に在職した、28年間は、

歴代の室町将軍らの中で、最長の在任期間だが、

父の義満氏が、9歳の彼を将軍職に就け、長らく主導した。


  室町幕府の、 第3代の、 足利義満将軍が、 日本国王として、

明帝国の皇帝から冊封される形で、 明と貿易する事には、

批判的だったが、 明帝国との貿易、 即ち、

対外通交には、 積極的だった、

その最有力な側近の、 斯波義将氏が、 1410年、の、

応永17年、 の、 5月7日に、死んでから、

足利義持将軍は、 態度を一変させ、

明の第2代の皇帝を、軍事行動で廃して、

第3代の皇帝に成った、 永楽帝、の、勅使が、

京へ入る事を許さずに、 兵庫から、帰国させ、

1411年である、 応永18年には、

明王朝との国交を断絶し、冊封関係も消滅させた❗


1420年に、 

シャルル6世の妃の、 イザボー妃は、

6世が死んだ後の王位を、 シャルル7世ではなく、

英国王の、 ヘンリー5世と、その後継者へ譲る、 とする、

トロワ条約、に署名した❗

妃による、トロワ条約への締結な行為は、

シャルル7世が、 シャルル6世の子ではなく、

王妃の、イザボー妃と、 王の弟の、オルレアン公の、

ルイ氏との不倫により生まれた子

、 という、 噂を再燃させた。


ヘンリー5世は、 1422年、の、8月に死に、 

シャルル6世も、  その2カ月後の、 

➕月に死んだので、 ヘンリー5世の嫡子の、

ヘンリー6世が、 イングランド王の位と、

トロワ条約に則り、 フランス王の位を継いだが、

ヘンリー6世はまだ、 ➖歳にも満たない乳児だった為に

、 

ヘンリー5世の弟の、ベッドフォード公のジョン氏が、

摂政として、国政を司り、 1429年の初め頃には、

フランスの北部のほぼ全てと、

フランスの南西部の幾つかの都市らが、

フランス王家から離されており

ブルゴーニュ公国は、 フランス王室と関係が深い、

ランスを支配下に置いた。 


ランスは、 歴代のフランス王が、戴冠式を行った所で、 

フランス王家が、 この都市を失った意味は、大きかった。

 

パリと、ルーアンを占領した、イギリス軍は、

フランス王家へ忠誠を誓う、数少なくなった都らの一つの、

オルレアンを包囲した。


  ロワール川に沿う所にあり、

戦略上の要衝地でもあった、 オルレアンは、

フランスの中心部への侵攻を防ぐ、 

最後の砦であり

「 オルレアンの趨勢が、全フランスの運命を握っていた❗ 」

オルレアンが陥落するのも、時間の問題

、 と、見なされていた。


ジャンヌ・ダルク嬢は、 ジャック  Jacques d'Arc 氏と、

イザベル・ロメ Isabelle Romee 女史との娘として生まれた。


父: 1380年 - 1440年 、が、 ロメ、と呼ばれていた、

イザベル・ヴトン嬢: 1387年 - 1468年 、と、結婚したのは、

足利義満氏と、明の永楽帝の生きていた、 1405年の事で

2人の間には、 ジャクマン、ジャン、ピエール氏、に、

ジャンヌ、カトリーヌ女史の、5人の子らが生まれている。


ジャンヌ・ダルク嬢が生まれたのは、

バル公領の村の、 ドンレミで、 バル公領は、

マース川の西部が、 フランスで、 マース川の東部が、

神聖ローマ帝国だったが、 ドンレミは、

その川の西部の、 フランスにあった。


バル公領は、 後に、ロレーヌ公国に併合され、

ドンレミは、 ジャンヌの別称である、

「 オルレアンの乙女 : ラ・ピュセル・ドルレアン

la Pucelle d'Orleans 」 、 に因んで、

ドンレミ=ラ=ピュセル 、と改名されている。


ジャンヌ嬢の両親は、

20ヘクタール程の土地を持っており、

父のジャック氏は、 農業をしつつ、

租税徴収係と、村の自警団の長を兼ねていた。


ドンレミは、 フランスの東部の、辺鄙な小村で、

周りを、 ブルゴーニュ公領に囲まれ、 

ジャンヌ嬢が幼少の頃には、

村は、何度かを襲撃され、焼き払われもした❗

ジャンヌ嬢は、 審問の場で、自分は、19歳位だ

、と、発言しており、

ならば、 1412年頃に生まれた事になる。


彼女が、 初めて、 「 神の声 」 、 を聴いたのは、 1424年頃で、

12歳だった 、と、証言している。


独りで、 屋外を歩いていた、ジャンヌ嬢は、

大天使ミシェル、と、聖カトリーヌに、聖マルグリットの姿を観、


英国軍を追い払い、 王太子を、

ランスへ連れて行き、 フランス王の位に就かせよ❗

、という、 「 声 」 、 を聴いた❗

聖人らの姿は、 この上なく美しく、 3名が消えると、

彼女は、泣き崩れた

、と、語ってもいる。


彼女は、16歳の時に、

親類のデュラン・ラソワさんに頼み込んで、

ヴォークルール Vaucouleurs 、へ赴き、

守備隊長の、 ロベール・ド・ボードリクール伯へ、

シノンの仮王宮を訪れる許可を願い出た。


ボードリクール伯は、 ジャンヌ嬢を嘲笑 アザワラ って、 追い返したが、

彼女の決心は、揺らがず、 翌る年の1月に、

再び、その地を訪れた、彼女は、

ジャン・ド・メス  Jean de Metz 氏、と、

ベルトラン・ド・プーランジ Bertrand de Poulengy 、氏、なる、

2人の貴族らの知己を得 、 2人の助けで、 伯に再会し、

オルレアンの近郊での、 ニシンの戦い 、で、 フランス軍が敗れる

、と、予言した。


伯は、 ニシンの戦いへの、 ダルク嬢の予言が中 アタ った事を、

前線からの報告で聞き、 合力者を連れて、

彼女が、 シノンを訪ねる事を許した。


ジャンヌ・ダルク嬢は、 男装をし、 敵である、

ブルゴーニュ公国の占領地を通りながら、

シャルル7世の王宮がある、シノンへ向かった。


シノンの王宮に着いて間もない、ジャンヌ嬢と、

余人を払って面会した、 シャルル7世は、

彼女へ、強い印象を覚えた。


彼の妃のマリー妃の母で、 アンジュー公妃である、

ヨランド・ダラゴン妃が、 

オルレアンへの派兵軍を、資金で助けていたが、

ジャンヌ嬢は、

派兵軍への同行と、騎士の軍装の着用を、

ヨランド妃へ願い出て、許され、

甲冑、馬、剣、旗印などの、軍装と、

彼女への合力者らの軍備の一式を、 寄付によって、

調達し得た。


フランス王族が、 彼女へ示した、多大なる厚遇について、

歴史家のリッチー氏は、

崩壊寸前な、フランス王国には、

彼女の神懸かり振りが、唯一の希望に思えたからだろう

、としている

度重なる、屈辱的な敗戦で、

フランスの軍事力も、国力も、瓦解し、

その指導力は、 失墜しきっていた。


シャルル7世が、

ダルク嬢の、軍備への求め様を認め、

軍の指揮官らの一人に据えた背景には、

それまで試みてきた、あらゆる正攻法らが、

失敗に終わった事に、 大きな原因性があろう。


  『 神の声を聴いた❗ 』 、と、公言する、

ジャンヌ・ダルク嬢の登場は、

長年な、英国とフランスとの戦いに、

宗教戦争の意味合いを帯びさせ、

彼女の存在は、 大きな危険性をも孕 ハラ んだ❗

シャルル7世の顧問らは、

彼女の宗教的正当性が、疑問の余地をなく、

立証された訳ではなく、

彼女が、異教の魔女で、

シャルル7世の王国は、 悪魔からの賜物だ

、と、告発されて、

ローマ教皇に従う、 キリスト教徒らの全てを敵にし得る事へ、

危機感を抱いた。


ジャンヌ嬢を異端と見なす可能性を否定して、

その高潔性を証明するべく、 シャルル7世は、

彼女の身元を調べる審議会と、

ポワチエでの教理問答を命じ、 1429年の4月に、

彼女への審議をした、委員会は、

彼女の、

「 高潔な暮らしぶり、謙遜、誠実、

純真な心映えの善きキリスト教徒な事を宣言 」、 した。


教理問答に携わった神学者らは、

彼女が、 神からの啓示を受けたか、否かは、判断できない

、としたが、

彼女の役割の神聖性を観立てるに足る、

「 有利な憶測 」 、 を、 シャルル7世に伝えた。


これらの結果らだけで、 7世には、十分な物だったが、

顧問らは、 彼女を王宮に呼び戻して、

7世が、自ら、彼女の正当性を正式に認める義務がある

、とし、

「 証拠もなく、 彼女が異端であるか、と、疑い、

無視をするのは、 聖霊への否定であり、

神の助けを拒むも同然 」、 だ、と、主張し、

彼女の主張な事らが、真実

、と認定された事は、

オルレアン派遣軍の士気を大いに高め得た。


イングランド軍が包囲していた、オルレアンへ、

ダルク嬢らが着いたのは、 1429年の、4月29日で、

オルレアン公の、 シャルル氏は、

英国の捕虜にされており、

異母弟の、ジャン・ド・デュノワ氏が、

オルレアン公家の頭として、

オルレアンを包囲する英国勢への攻略軍を率いていた。


当初の、 ド・デュノワ氏は、

彼女が、作戦会議へ加わる事を認めず、

交戦の状況も、彼女へ知らせなかったが、

ド・デュノワ氏による妨害な行為らを無視して、

ジャンヌ・ダルク嬢は、

多くの作戦会議らに出席し、

戦いにも加わる様にして行った。


「 ここにいる乙女が、 八日間で、

ロワール川に陣していたイングランド軍を破り、

完全に駆逐しました❗

イングランド兵らは、戦死するか、捕虜となり、

戦う意思を失っています。

サフォーク伯、ラ・ポール卿兄弟、タルボット卿、

スケールズ卿、ファストルフ卿ら、

英国の貴顕や指揮官らが敗れた事は、

紛れもない事実なのです 」

ダルク嬢が、 1429年の、6月25日に、

トゥルネー市民へ送った書簡

彼女は、 それまで、フランス軍の指揮官らが用いていた、

消極的な戦い様を一新した。


彼女が参戦するまでの、 オルレアンへの包囲戦では、

オルレアンの守備軍が、積極策を試みたのは、一度だけで、

大失敗していた。


ジャンヌ嬢の着いた5月4日に、

フランス軍が攻勢に出て、 オルレアンの郊外の、

サン・ルー要塞を攻略し、 5月5日には、

ダルク嬢が軍を率いて、放棄されていた、

サン・ジャン・ル・ブラン要塞を占拠した❗

。  

翌る6日に開かれた作戦会議で、 彼女は、

ド・デュノワ氏の慎重策に反対し、

英国軍への更なる攻撃を主張している。


ド・デュノワ氏は、 それ以上の戦線の拡大を防ぐべく、

英国軍らに面した、市街の城門らへの閉鎖を命令したが、

ダルク嬢は、 市民と兵らを呼び集め、

行政の責任者へ、城門を開けさせる様に働きかける事を命じ、

ある大尉の手引きで、市街を抜け出し、

サン・オーギュスタン要塞を攻略し得た❗

。  

その夜に、 彼女は、 自らが出なかった会議で、

援軍が着くまでは、 これ以上の軍事行動を見合わせる

、と、決められた事を知ったが、 それを無視し、

5月7日に、英国軍の主力の拠点な、

レ・トゥレルを攻める事を主張し、

彼女と行動を共にしていた兵らは、

彼女が、首に矢傷を負ったのに、戦列に復帰して、

攻撃での指揮を執る様を目の当たりにしてからは、

彼女を認める度合を深めていった。


英国軍は、 パリへの、再びの占領か、

ノルマンディへの攻略を目指していたが、

予想以上に勝った直後に、 彼女は、

シャルル7世を説き伏せて、 自らを、

アランソン公、の、 ジャン2世の副官の地位につける事と、

ランスへと通じる、 ロワール川に沿う橋を占拠して、

ランスでの、 シャルル7世の戴冠への幕開けとする、

作戦行動とへの、 勅命を得た。


    ・・明の永楽帝が死んだ、7年後で、

室町幕府の、第6代の征夷大将軍の、 足利義教氏が、

赤松氏の屋敷で、 宴会中に、その朗等に暗殺された、 

嘉吉の変の、 ➕年前の、 1431年、に、 焼き殺される、

ダルク嬢は、

ランスまでの道程が、 パリへの道程の約2倍もあり、

当時のランスが、 イングランド軍による、

占領地の中心部にあった事からも、 無謀ともいえる、

作戦の提案をしたが、 シャルル7世からの許しを得た。


イングランド王国軍に勝ち、

オルレアンを解放したフランス軍は、 6月12日に、

ジャルジョーを奪回し、 15日に、

マン=シュール=ロワール、 17日に、

ボージャンシーと、 領土らを次々に取り戻していった❗ 。


  ジャンヌ嬢の上官の、ジャン2世は、

彼女が立案する作戦らの全てを承認した。


当初は、 ダルク嬢を冷遇していた指揮官の、

ド・デュノワ氏らも、 

彼女が、 オルレアンで成した戦功を認め、

支持者になっていった。


ジャン2世は、 ジョルジョー解放戦で、

間近への砲撃を予見して、

彼の命を救った彼女を高く評価していた❗

この解放戦では、 攻城梯子 ハシゴ 、を登っていた、

彼女の鎧 ヨロイ へ、 投石器から放たれた、

石弾が中 アタ り、

梯子から転げ落ちそうになった事もあった。


1429年6月12日に、 ジャンヌ嬢の軍が、

ジャルジョーを占領し、 英国軍の重要な司令官らの1人の、

サフォーク伯を捕らえ、

それを知った、リッシュモン大元帥は、

シャルル7世の宮廷顧問と王自身の許から、

追放も同然となっていたが

子飼いのブリトン人の、騎兵の2千人と、

弓兵の8百人とを率いて、合流の動きをみせ

激しく対立していた、筆頭侍従の、

ドゥ・ラ・トレムイユ氏は、

それを知ると、 リッシュモン軍と対決してでも、

合流を阻む様に命じた。


ジャンヌ嬢と、司令官のアランソン公は、

それに従おうとしたが、 配下の武将の、

ラ・イル氏に、 ポトン・ド・ザントライユ氏や、

ド・デュノワ氏らは、既に、武勇の誉れが高かった、

リッシュモン大元帥を迎え入れて、合力すべし、

と主張し、

ダルク嬢は、 これを容れ、

大元帥軍は、 彼女の指揮下に入り、

実質的な指揮を、リッシュモン大元帥が執った。


が、 大元帥は、 

この、フランスの北部は、

ロレーヌ川の近くでの、戦いの後に、

王から、再び、追放され、

彼女との共同戦線は、これっきりであった。


6月18日に、 大元帥軍の合流を知り、

ボージャンシー氏は、 戦意を無くし、降伏した。


イギリス軍の指揮官のシュルーズベリー伯の、

タルボット氏と、ファストルフ氏は、

直ちに、反撃に出たが、

要衝のマン橋を、フランス軍に固められていたので、

失敗し、

イギリス軍は、

イル・ド・フランス方面へ、撤退を試み、

フランス軍は、追跡をした。


リッシュモン氏の配下の武将の、

ボーマノワール氏と、ブーサック氏に加え、

歴戦のザントライユ氏と、ラ・イル氏が、

騎馬部隊を率いて、前衛となり

、  

ジャンヌ・ダルク嬢と、大元帥が、

本隊を成して、後に続いた。


イングランド軍は、

オルレアンを解放されてからの負け戦を、

得意の野戦で挽回すべく、

迎え撃つ機会を設ける事にした。


タルボット氏は、 パテーの町の近郊の、

森と生垣らを利用して、陣を張った。


ラ・イル氏は、 英軍の潜んでいる所を察知し、

当時の常識であった、突撃の前にする、

陣形への整列と、名乗りを行わずに、突撃を始めた。


それらが為に、 イギリス軍は、

得意の長弓部隊の準備の隙を衝かれて、

奇襲を受ける状態になり、 その結果において、

イギリス軍は、壊乱状態となり、 

そこへ、フランス軍の本隊が投入されて、

イングランド軍は、壊走した。


タルボット氏は、 フランス軍の捕虜にされ、

ファストルフ氏は、僅かな部隊と共に、敗れ走った。


その為に、 彼は、

ベッドフォード公のジョン氏に、

ガーター勲章を剥奪された。


この合戦は、 百年戦争の大規模な野戦での、

フランス軍の初めての勝利だった❗

この勝利は、 ダルク嬢の、

オルレアンへの解放や、ランスへの行進と並ぶ、

意義を持っており、

これ以降の野戦における、両軍の勝敗ぶりは、

一変する。


パテーの前には、 フランス軍は、

野戦では、必ず敗れる

、といっても、過言ではなかったが、

この後は、 野戦においても、 フランス軍は、

イギリス軍に勝てる様になった。


この合戦を最後に、 フランス軍による、

ロワール河の流域における軍事行動らは、終わり、

彼等は、 ライン河から北の地域らへ行軍し、

その後に、 フランス軍は、 ランスに到り、

シャルル7世への戴冠が実現される。


ジャンヌ・ダルク嬢は、

リッシュモン大元帥を軍に留めたがっていたが、

彼は、 宮廷内での勢力らの争いの中心であり、

再び、フランス王軍から離れ、

ランスでの、戴冠式にも参加できなかった。


    1429年、の、 6月18日に、

ファストロフ卿が率いる援軍を得た、英国軍と、

フランス軍とは、 パテーで戦い、

フランス軍が大勝ちしたが、

この戦い、と、 英国軍が大勝ちした、

1415年の、 アジャンクールの戦いとは、

比べられる事がある。


パテーの戦いでは、

フランス軍の前衛が、 英国軍が誇る、

長弓隊の兵らの準備が整う前に攻せ始めたので、

イギリス軍は、総崩れになり、

その主力も、壊滅的な損害を得て、

多くの指揮官らが、討ち死にしたり、捕虜にされた。


ファストロフ卿は、 僅かな護衛と共に、戦場を離脱したが、

後に、この屈辱的な負け戦の責めを負わされている。


「 ブルゴーニュ大公。 私は、伏して、

貴君に心からお願い致します。

これ以上は、 聖なるフランス王国との戦いを続ける事は、

おやめ下さい。

聖なる王国の領土や城塞らから、 一日も早く

軍を退いて頂けます様に。

私は、 平和を愛するフランス王の名代として、

王が、名誉にかけて、

貴君との和平を望んでいる事をお伝えします。


- ジャンヌ・ダルク嬢が、 1429年、の、 7月17日に、

ブルゴーニュ公の、 フィリップ3世に宛てた書簡

フランス王国軍は、 6月29日に、

ジアン=シュール=ロワールから、

ランスへ向けて進軍を始め、

7月3日には、 オセールを占領していた、

ブルゴーニュ公国軍が、

条件付きの降伏を申し出ている。


ランスへの進軍路にあった都市らも、 抵抗せずに、

フランスへ、忠誠を誓い、 

シャルル7世は、 

フランスの領土を回復していったが、 

英仏は、休戦を協定し、 その後の数カ月は、

ジャンヌ嬢には、 する事が、ほとんどなかった。


1430年、の、 3月23日に、 彼女は、

フス派への信 フミ を書き取らせた。


フス派は、カトリック教会の教義の多くを否定し、

異端として、迫害されていた改革派だった ;

≒ ローマ教皇の呈する倫理事項ら、 等を、

その内容を問題とせずに、成し行う事、な、 それ自体に、

天国への導きを得る手続き性の在る事を、疑う人々だった 。


彼女の書簡には、 

「 あなた達の妄執と馬鹿げた妄信は、お止めなさい。

異端を捨てるか、命を捨てるかの、どちらか、です 」

、と、書かれていた。


英仏の休戦への協定は、間もなく、失効した。


    こうした事らのあった、休戦の直ぐ前の情勢に話を戻す。


シャルル7世の、フランス王位への継承権を剥奪する、

条約が締結された、 都市の、トロワも、

パテーの戦いに勝って、進軍して来た、 フランス王軍による、

4日間の包囲の末に、戦わずして降伏した。


城塞都市な、トロワへ近づいた頃のフランス軍には、

食糧の補給が不足していたが、

この問題な事への解決に貢献したのは、 トロワで、

世界の終末を説いていた、ブラザー・リチャードなる、

巡礼修道士で、

彼は、 早く成る豆を育てて、フランス軍へ与える様に、

トロワ市民らを説き伏せ得た。


豆らが食べられる様になった頃に、

食料の不足に悩んでいた、フランス軍が、 トロワに到着した。


1429年、の、 7月16日に、 フランス王軍へ、 

ランスは、門を開き、

シャルル7世の戴冠式が、

翌る17日の朝に執り行われた。


ジャンヌ・ダルク嬢と、アランソン公の、ジャン2世は、

パリへ進軍する事を主張したが、

シャルル7世達は、

ブルゴーニュ公国との、

和平条約への締結の交渉を優先しようとした。


が、 

ブルゴーニュ公の、 フィリップ3世は、

和平への交渉を反故にし、 短絡的な作戦だが、

パリの守りを固めるべく、 英国軍へ援軍を送った。


ブルゴーニュ公国との和平に失敗した、フランスは、

パリへ兵を進める事にし、

進軍する途上の都市らを、平和の裡 ウチ に、陥落させながら、

パリの近郊に迫った。


イングランド軍の将軍の、 ベッドフォード公の、

ジョン氏が率いる軍隊と、 フランス軍が対峙したのは、

8月15日で、 そのまま、戦線は、膠着状態になり

フランス軍が、 パリを攻め始めたのは、 9月8日だった。


この戦いで、 ジャンヌ嬢は、

石弓からの矢を当てられて、脚を負傷したが、

最後まで、戦場に残って、軍の指揮を直に執り続けた。


が、 9月9日の朝に、 シャルル7世は、

彼女へ、撤退命令を伝え、 ➕月に、彼女は、

サン=ピエール=ル=ムイエ包囲戦で、軍に復帰した。


続いて、11月から、12月の、

ラ・シャリテ・シュール・ロワールへの包囲戦にも加わったが、

戦果は、無かった。


1429年の12月29日に、 ダルク嬢と、その家族は、 

シャルル7世により、 貴族に叙 ジョ せられた。


    シャルル7世 ) 王が、ブルゴーニュ公と、

15日間の休戦を協定した事は、 事実であり、

公が、 15日を経ない内に、

パリへ兵らを進めた事も、事実です

私が、すぐに、パリへ向かわなかったとしても、

驚くべき事ではありません。

私は、こういした休戦への協定には、反対であり、

私自身が、この協定を破る可能性すらあります

私が、この協定を尊重するとすれば、 

それは、王の名誉を守る為、という一点だけです

王族らの間で交わされる、 この様な協定が、

今回の15日間の休戦への協定の様に、

平和をもたらさない、馬鹿げた物でも、

私は、協定を守り、

不測の事態に備えて、軍を整える事でしょう 」

--

ダルク嬢が、 1429年、の、8月5日に、

ランス市民に宛てた書簡

。  

この後に、 英仏の休戦がなされたが、

フランスとイギリスとの休戦への協定は、

間もなく、失効し、

ジャンヌ・ダルク嬢は、

足利義教氏が、 室町幕府の、

第6代の征夷大将軍に就任して、 2年後の、

1430年の、5月に、

コンピエーニュの包囲戦 Siege of Compi口gne 、 へ加わりに、

そこへ向かい、 5月23日には、

彼女が率いる軍は、 マルニーに陣取っていた、

ブルゴーニュ公国軍を攻撃したが、

公国軍へ、6千人の援軍が到着した事から、

彼女は、 兵らへ、 コンピエーニュ城塞の近くへ撤退する事を命じ、

自らは、 撤退してゆく部下らへの追撃を防ぐ、

殿 シンガリ 、として、その場で、戦いぬく事に決めた。


が、 短時間の戦いで、 

ブルゴーニュ公国軍は、 彼女の退路を断ち、

彼女は、一筋の矢を受けて、馬から転げ落ち、

公軍の捕虜にされた。

当時は、 敵の手に落ちた捕虜の身内が、 身代金を払って、

身柄の引渡しを求める事が、普通だったが、

ジャンヌ嬢の場合は、 異例の経過をたどった。


多くの歴史家達は、 シャルル7世が、

ジャンヌ嬢の身柄への引渡しに介入せずに、

見殺しにした事を非難している。


母国のフランスから見捨てられたも同然になった、ダルク嬢は、

幾度か、脱走を試みている

ブルゴーニュ公領の、 アラスに移送された時には、

監禁された、ヴェルマンドワの塔から、

21メートルも下の堀へ、飛び降りた事もあった。



☆ 三橋貴明氏❗ ;


真・国家論~守る意思、守れる現実~


2020- 9-27 9:44:11

チャンネルAJER更新しました。

「安倍政権のレガシー(後編):前半)」三橋貴明 AJER2020.9.14


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菅総理のブレーン 国際金融資本の代理人デービッド・アトキンソン [三橋TV第293回]



【緊急配信】菅政権誕生、日本は

竹中平蔵に乗っ取られるのか?

国民の9割が知らない菅内閣が日本を滅ぼす3つの理由(三橋貴明)

 構造改革主義者は、

特定の産業や業界をターゲットとし、既存の市場に割り込み

「儲ける」ことを狙います


(いわゆる「レント・シーキング」)が、当たり前ですが

「特定の産業・業界」で働く

国民から政治的反発を受けます。


 構造改革時の反発を叩き潰すために、

「既得権益」といったレトリックで悪者化し、

「他の多数派の国民」のルサンチマンを煽ります。


ルサンチマン・プロパガンダにより、

「同じ国民」を殺す構造改革が

「民主制」により進められる。


 この種の構造改革に対抗するためには、

「国民の連帯」が必要です。

 ところが、日本国民は

1945年の敗戦以降、「国民意識(ナショナリズム)」を破壊する

教育を受け、情報を与えられてきた。


 国家観を喪失したところに、97年以降は

デフレで貧困化。


国民同士の連帯意識は失われ、

ルサンチマンにまみれた国民の多くは、

「特定の産業・業界」の同じ国民が

「既得権益」と批判されることに対し、

「ざまあみろ!」

 と、嘲笑し、自分の困窮の憂さを晴らそうとする。


 75年もの自虐教育にデフレが加わった現在の日本国は、まさに

「構造改革主義者にとって理想の場」になっているのです。

 コロナ危機勃発以降、わたくしは、

「全ての国民を守る」

 を繰り返し、困窮した国民を

「クレクレ乞食」呼ばわりしたり、

「全ての国民を救えないので、優先順位をつける必要がある」

といった発言をした者を

猛烈に批判してきました❗ 。


 ナチスか❗

 同時にこの種の「国民を分断する発言」は、

構造改革主義者に利用されることになってしまう。


国民が分断されれば、

構造改革主義者のルサンチマン・プロパガンダの効果は

絶大になる。


 国民分断を図る愚かな発言をする者たちの頭の中は、

「商品貨幣論」「貨幣のプール論」です。


クレクレ乞食にしても、

「全ての国民は救えない」にしても、共に

「貨幣の量には限界がある」

という前提になっていることに気が付きません?


 実際には、政府の貨幣発行に

(インフレ率以外の)限界は

ありません❗ 。


全ての国民を守り、全ての企業を救い、

全ての地域を助けることは

「可能」なのです。


 ところが、貨幣観を間違えているため、

「政府の財政には限界がある」

 を信じ込んでしまい、

国民を分断する発想に至り、

全体主義化(ナチス化)や

構造改革主義者のルサンチマン・プロパガンダに

手を貸すことになる。

【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】


http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

※特別コンテンツ、近現代史研究家・林千勝先生【大東亜戦争の真実~奪われた勝利への道~】が視聴可能となりました。

 話を整理すると、


1.日本国民は、1945年以降、

国家観を失う教育を受け、情報を与えられ続けた


2.貨幣観を間違えた結果、97年以降の緊縮財政で

デフレ化した


3.貨幣観の間違いにより貧困化し、

ルサンチマンが蔓延。同時に

非常事態発生時(現在)に国民を分断する発想が登場


4.貨幣観の間違いによるルサンチマン・分断発想が、

国家観を壊し、全体主義化、構造改革が進んでいる <今、ここ


 というわけでございます。


 今後の日本では、小泉政権、安倍政権以上に

「日本国民に国家観がないことを利用した、

国民分断による構造改革」

 と、

「日本国民が貨幣観を間違えていることを利用した、

緊縮財政による国民分断の推進」

 が同時に進んでいくことになるでしょう。


 つまりは、取り戻さなければならないのは

国家観、正さなければならないのは

貨幣観。

 というわけで、わたくしはこの度、経営科学出版から

「真・国家論」をリリースしたのでございます。

https://pages.keieikagakupub.com/cpm_38koka1_s_d_14800_fe/


 今後は「真・貨幣論」の製作へと進みます。


 とにかく、国家観が「存在しない」というのが

日本の現状でございますから、

ゼロから「構築」しなければならず、大変でした。


(貨幣観は、MMTなど様々な材料があるのですが)


 権利、生産性、安全保障という

三つの切り口から構築された「真・国家論」は、

ある程度の普遍性を持つと信じます。


 構造改革を止めることができるのは、

国民の連帯意識、つまりは

ナショナリズムだけです。


構造改革とはそもそも

「グローバリズム」でございますから、当然ですよね。


 ナショナリズムとは、要するに

「全ての国民を守る」

という

国民や政治家の意志そのものです。


我々の多くが、

「(正しい国家観に基づき)全ての国民、企業、地域を守る」

「(正しい貨幣観に基づき)全ての国民、企業、地域を守れる」

 ことを理解していはじめて、我が国から構造改革、

グローバリズムを駆逐できるのです。

「全ての国民を守り、守れる!」に、ご賛同下さる方は、

↓このリンクをクリックを❗ 。


「パナマ文書」とは何なのかまとめ、問題の本質や資産隠しの現状、そして各界の反応は - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20160406-panama-papers/


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https://gigazine.net/news/20160404-panama-papers/


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