大きな顔や、 大きな顔の影
大きな顔や、大きな顔の影が、他の人や、
自分の見える、 鏡的な物の無い所々で、
観えてしまう人は、
殺すの、殺さないの、といった、
深刻な人間関係を、誰かと持ち合って居て、
その人の追い詰められた心理的な状況が、
それらを、その人自らに観せている、
可能性がある。 :
:
その人と深刻な人間関係を構築し合うに至っている、相手方の人や人たちも、
その人や、その人に近しい身内の人たちなどへの殺意や害意を深刻化させている、
可能性があるので、
一旦は、そうした関係にある相手方と、
一定以上の距離を、物理的にも、
精神的にも、取るようにしながら、
第三者らに介入して貰うなり、 何なりし、 立ち居振る舞いや物の言い様による、
自分の表現の仕方も変えて、
その深刻な人間関係を緩和したり、
解消したりする方向で、段取りをしないと、
25年程前に、 名の知れた、物マネ芸人さんが、 愛人さんに刺し殺されてしまった様に、 取り返しの付かない事に成り得る。 :
稲川淳二さんが、 その殺されるに至った芸人さんのSさんと話した際に、 :
彼から、大きな顔の影が観える様に成った、と、言われた事がある、と、
怪談話の一部として話していたけれども、 :
心霊的な意味合いは、ともかく、
心理的な状況を投影し得ている、
現象でも在り得るので、
極めて、注意を要する。
:
自分の表現仕様を変えると、
関わりのある人たちも、自動的に、
追い追い、自分への応対の様態らを変えざるを得なく成ってゆくので、 :
自分を取り囲んでいる世界の状況を、
確実に変えるには、
ヒト ( 他者 ) の在り方らを変えようとする事から始めずに、
自分の在りようらを変える事から始める事だ、といった事は、
色々な人達が指摘し得ている事だが、
それまでに、我彼へ現し観せて来た、
言動外観上の自我像らを構成し得ている事項らは、
逆に、 自らの取るべき言動の構成事項らを選び立てる際の規準にも成ってしまっているものなので、
一定以上の問題意識が構築され得るに至っていない場合には、
本格的に、自らの表現形態らを変える事は、無理な事であるにしても、
ちょっとした、と、自分には思われる程度以下の所々から変えてゆく分には、
困難は無かろうし、
大きな顔の影が観える様な事態を解消する為の一歩にも成り得よう。
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