感ら、や、観念ら、の、宛てとして、観念系らの各々にある、脳神経ら、など 。 日本内外史略 05
【 脳神経らを通る、 電気信号らの系として、
精神系を思い捉えて観る場合においても、
その脳神経だの、 電気信号だのを、
宛居 アテイ 、 対象として、
格付けて観ている、 観念らが成り立っており、
それらは、 観念らの外側にあるものらとして、
その観念らの成り立つ場において、
規定されてはあるものの、
やはり、 観念の設定上の存在らである事に、
何の変わりも無い。
観念によって、 その設定上のありようらを、
自在に変え得ない対象だからといって、
そうした、 観念による操作の対象に成らない、
ものらが、
我々の各々の、 観念らの成り立つ場において、
その様に在るものらとして、 観得てある、
観念の設定上の存在である事を、
やめる訳ではない。
観念らの外側にあるものらとして、
観念の成り立つ場において、 自動的に、
規定されて、 現れ出て来る物事らも、
観念の無い場に、 実在している、 と、
我々が、 仮定し、 確信もしている、
観念の外側の存在ら、 の、 そのもの、 と、
因果の鋳型に当てはめても観得る、
関係性を成して、 現れ出て来るにしても、
観念が、 それ自らの成り立ちを得ていない
場において、 実在し得ているものとして、
我々が、 確信を成して、 思い構えて観ている、
宛 アテ のものら、の、 そのものと、
観念の場に、 現れ出て来る物事らとは、
全くの、 別物同士 、 であり、
我々の観念らの設定される、
仕組みらに合った形で、
脳神経だの、 電気信号らだの、
それらの関わりようらだの、
あらゆる、 存在の欠如としての、 無 、 だの、
誰彼の死を意味する状況だのが、 現象する、
手筈に成っているだけであって、
我々の観念らとは、
それ自らの成り立ちようらの、 異なる、
観念めいた、 何彼らの成り立ちようらを通して、
自らの精神系めいた
何彼の成り立ってある領域には、 無い 、
世界らを、 翻訳して、 観ている主らがある、
とすれば、
その主らは、 我々とは、 違う様に、
物事らを、 観念めいた、
何彼の成り立ってある場で、
現象させて観ている事になる。
我々は、 どんなに、
自らの精神系の外側に出て、 物事らの実態に、
当たり得ている、 つもり 、 を、
成り立たせる事ができるとしても、
全く、 自らの精神系から、 一歩も、
抜け出せない、 設定上の存在であり、
自らの時々の精神系の様らを成り立たせている、
感らや、知覚らに、
記憶化された知覚ら、 からも、 成る、
観念らなどの組み合わせらを、
自らの精神系の、 無い 、場にある、
何彼らとして、 規定して観ている、
だけの事であって、
それは、 自らの精神世界を構成していたり、
一定の条件らが整った場合に、
構成し得たりする、 自らの精神系の、
一定部分らや、 可能的な一定部分らに、
それらから、 成る、 ものらをして、
『 自分ではない、
自分の相手にしているものら 』 、 として、
仕立てて、 観ている、だけの事でしかない。
独り相撲を、 自分の一定部分ら等を相手として、
やっているだけの事で、
あなたが、 あなたではない、 何彼らとして、
自らの精神系において、 相手にしている、
何彼らの様らは、
あなた自らを成り立たせている、
あなた自らの精神系のからくりらが、
成り立たせて、
あなたへ観せている、
あなたの精神系の一定部分ら等から、
成る、 ものでしかない。
旅に行く事には、
日頃の人間関係などに対して、
精神的な距離を置く事を通して、
それらを、 思い捉え直す、 機会を、
自らへ与える等の、
様々な意味や、 効果が在り得るにしても、
それにおいても、
それを成す主は、 一定条件らの整いと共に、
その主の精神系に現れ出る、
自らの精神系の一定部分ら等に出会うだけであり、
『 自分の現在 』 、 を構成する事象らとしか、
出会い得ない。
誰彼が発明した、 時間旅行機なる物で、
過去の事象らめいた事象らや、
未來の事象らめいた事象らに出会い得たとしても、
その主は、 『 自分の現在 』 、 を、
そこに伴っており、
『 自分の現在 』 、 を抜け出して、
在り得ている訳ではないので、
その、 過去の物事めいたものらも、
未來の物事めいたものらも、
『 その主、の、 現在を構成するものら 』 、
でしかない。
そこに、 あるのは、 現在 、 であり、
現在を構成する事象らでしかない。
時間旅行なるものの不可能性は、
誰も、 『 自らの現在 』 、 を、
脱け出す事ができず、
自らの現在と共にある様に、
設定されてある存在である、
という事にある。
この事は、 『 現在 』 、 にしか、
時間や、 空間などが、 存在せず、
時間や空間と共にある様に、
我々の観念の成り立つ場で、
観られて来てもいる、
過去や、未來なるものには、
それら等が、 その様には、 在り得ない、
という事にも関連する。
観念らには、 観念として、
観念されているものらと、
観念ではないものとして、
観念されているものら、 と、 が、 あり、
我々は、 後者の物事らを相手として、
独り相撲をやり続け、
その様らを、 我彼へ向かって、
言葉にして、述べて観せたりもする。
物質らが、 何の力でもなく、
何の働きも、成し得ない、 存在であり、
ただ、 何らかの働きらを成して、
在り合っている、
色々な力らの居合わせている、
動的な位置でしかない、 にも関わらずに、
力ら、 という、
観念の設定上の存在でありながら、
そうではない、
誰彼の、 観念の成り立っていない場らにも、
在るものとして、
誰彼の、 観念において、 規定されてもある、
宛のものら 、 が、
どこに、 在り、 在り得るか、 を、
我々に、 知らせ、 観察させ得る、
目安、 や、 指標とするだけに、
物質らへの意味の宛てがいようを、 留めずに、
まるで、 それ自体が、
有力な存在であり、 何らかの働きを、
自らの力で、 成り立たせもしている、
有力な存在である事が、
自明の理であるかの様に、
全く、 力としての属性が、無い、
全く、 無力な存在であり、
全く、 どんな働きも成し得ない、
全くの、 怠け者であり、
ただの、 色々な力らの居合わせている、
その、 場 、 でしかなく、
移動した様にも、 観られ得る、
『 動的な位置でしかない、
原子 、 などの、 粒子以下の、 物質ら 』 、 を,
何らかの力や、 力の源泉などとして、
仕立てて、観せたりもする人々もいるが、
彼らへ、 その様に観せている、
その観念らの成り立ちようらを宛とした、
一定度合い以上の構築性を成してある、
分析知の体系らが、
そこには、 欠けてあるが為に、
その様に、 その主に観させている、
観念らの規定性らを思い分けて観て、
そうした観念事項らを成り立たせ得ている、
からくりや、 枠組みらそのものを解いてゆく、
といった、
日本の仏教の法相の人々や、
その業績らを踏まえ得た度合を成してもいた、
精神性に基づいて、
様々な宗派などを成した人々と、
その文化的な継承を成して来た人々が、
取り組んで来てもいる、 列辺 レベ
≒ レベル 、 以上の事を、
そうした人々は、 全く、 できないままに、
同じ浅瀬で、 足踏みをし、
立ち往生をしているだけであり、
ゲルマン蛮族員らを、
自らの先祖らの一部に持つ人々などで、
羽振りなどがよく、
世界の人々を主導する、つもりや、
態勢にある事を、 明ら様にして来てもいる、
人々においても、
大カントを始めとする、
ほんの数人だけを例外として、
全く、 観念らの矛盾し合う場合もある、
規定性ら等を宛とする、
思い分かりの体系知らを欠いており、
日本の、 倫理的な自律性に基づいて成り立つ、
匠の精神性や、道の精神性のある人々までが、
無意識での、 自己投影の罠に掛かってもいる 、
せいで、
観念らへの解枠 トワク 性の度合いを、
ほとんど全く、 欠いている、 そうした者らへ、
彼らの関わり得る人々の事らをらを、
宛居 、 対象とした、
調停などの事らを成すべき、
必要性の度合の甚だしい大きさを、
思い量りもせずに、
何となく、
地球社会の事らを任せた気になっている事は、
自らや、自らの将来世代の人々の、
命の存続や、 健康性、 の、 一定度合い以上での、 存続を前提とする、
それらも含む、 在り得る、 福利らを、
自ら、未然に、消し去ってゆく事ら、の、
組み合わせらが成る方向へ、
不作為らによる、 後押しを成す事でもあり、
より早くに、 彼らの精神的な実態らの一般と、
在り得る、 実態らの一般とを、
より体系的に、 思い分けて観てゆく
段階らを成すべき、 利害関係上の立場と、
倫理的な欲求性をみたし得る立場とに、
観念らへの解枠性を成し得る事において、
世界の、 他の文化圏らの主らへ対して、
最も、 甚だしく、 素養なり、 素質なり、に、
富み得て来てある、
日本国民らの一般は、 在る 】 。
【 労僕徒 ロボット 、 を買って、
誰彼が、 その家の事らをやらせる、 とする。
誰彼の、 家の財産を増す、との、 触れ込みで、 売られている、 僕徒 ボット 、 だ。
所が、 その買い主が、 金額として機能する、
数値らを、 その僕徒へ、 入力すると、
その僕徒が、 反対して、 言う 。
『 ご主人さまの、お金を、
私が、 預けられますと、
私に、 財政赤字の分が、 成りますので、
お預かりできません。
イギリスや、アメリカの、 富豪らを、
最大手の、 お金の貸し主としている、
欧米のカネ貸したちから、
より、 信用を得て、
ご主人さまの名義で、 ご主人様の、
知らない内に、 お金を借りる事を、
より、 出来やすくする様に、
わたくしの財政赤字を、 できるだけ、
無い、 状態にする 、
財政の健全化に、 はげみます。
ギリシャの主権者さま方の、 執事の役の者らも、
その様にして、 ゴールドマン・サックス等の、
投資銀行 、 とも言う、 カネ貸しらから、
主権者さま方の知らない内に、
主権者さま方の名義で、 莫大な借金をし、
見事に、 主権者さま方の資産らが、 大いに、
安売りをされて、
英米の富豪らの代理の者らへ、
買い漁 アサ られ得るようにする事に、
成功いたしました。
私も、 ご主人さまを、 同じ目にあわせるべく、
私が、 財政赤字を成す度合いを、
できる限り、 減らして、
ご主人の経済が、 より、 立ち行かない様に、
段取りしてゆく、 所存であります 』 。
その買い主は、 その僕徒の設定を成した主らへ、 察しを付ける事ができたが、
日本の主権者である、 日本国民らの大半は、
自らの、 在り得る、 福利らを、 成し、増す、が、
為に、
自らが、 雇ってある、 この僕徒に類する、
自らの召し使いの役にある、
『 日本政府 』 、 というもの、 の、
運営を任せてある、
これまた、 自らへの、 召し使いの役にあり、
執事の役にある、 役人ら、 と、 政治家らが、
『 英米のカネ貸しらの主張する通りの事らを、
オウム返しにして、 主張し、
その、 言うがままの事らを実行して来ている 』 、
にも関わらずに、
まだ、 その事らの、 本当の、 ありようらも、
在り得ようらも、 観て取り得ては、居ない 。
その、 実際の、 ありようらと、 在り得ようとを、思いとらえ得た側の、 日本国民らが、
自ら、 彼らへ、 知らしめ、 より早くに、
日本国民らの足元の地下へ、
避難経路らと、 より、 心地好く住める避難所らを、 作り拡げてゆく、 公共事業らへ、
本腰を入れて、 取り掛かりべき、
心構えを成し得る様に、 導くしかない 】 。
☆ 日本内外史略 05 ;
ハディージャ夫人 ( 65 ) 、 は、 :
ムハンマド氏の話す事を信じ、
「 貴方は、神に選ばれた 」 、 と、励ました。
ムハンマド氏 ( 40 ) 、 も、
段々に、自信を持って、
天使が告げる言葉らを、 周囲の人々へ、
述べ伝えるようになった。
その頃に、 アラビア、 というか、
西アジアの全体では、 自称の預言者らが、
いくらでもいた、とはいえ、
やはり、 周りから見れば、
気が触れた、としか見えないので、
最初の頃は、 誰も、彼を相手にしてくれなかった。
最初の信者になった、ハディージャ夫人を除くと、
かろうじて、 ムハンマド氏の親友中の親友である、
アブー・バクル氏と、
従兄弟の、 アリー氏だけが、 信じてくれた。
時には、 遠くの町へ行って、説教をしたが、
相手にされないばかりか、石を投げられもした。
が、 じわじわと、 彼の言葉に、
耳を傾ける人たちも出てくる。
メッカの長老たちは、
ムハンマド氏の事を、
「 若者を煽動する危険人物 」 、 と、みなして、 暗殺計画を立てた。
それを察知した、ムハンマド氏は、
夜陰に紛れて、支持者のいる北方の町、
ヤスリブへ逃れた。
暗殺者らをかわす為に、
ムハンマド氏の寝床には、 アリー氏が、
代わりに、横になり、
襲ってきた刺客らを、 軽く撃退した後で、
ムハンマド氏の借金の全てを、
代わりに、 返してから、
ムハンマド氏をを追いかけて行った。
ハディージャ夫人は、 この時点では、
すでに、 亡く、
これが、 西暦、の、 622年 。
イスラーム暦の元年になる。
日本では、 この、622年に、
聖徳太子が、 亡くなり、
643年には、 聖徳太子の子である、
山背大兄 ( やましろ・の・おおえ ) 王
、 を、 始めとする、 太子の子孫員らが、
蘇我入鹿 ( そが・の・いるか ) により、
殺されてから、
蘇我入鹿が、
中大兄 ( ナカのオオエの )
皇子、 や、 中臣 ( ナカトミの )
鎌足氏らの計画により、 暗殺される、
乙巳 ( いっし ) の変、 を、
645年、 に、 迎える事になる。
ヤスリブへ逃れた、ムハンマド氏は、
ヤスリブで対立していた、二つの部族らの争いを、 『 公平な第三者 』 として、
巧みに、 仲裁した。
【 有効な仲裁ができる、調停者と成り得た、
という事は、
ムハンマド氏が、 争い合う、 2つの部族の、
主だった人達において、 彼らと肩を並べる、
同格以下の人たちよりも、
高い権威性を認められるに至っていた 、
事 、 を、 示唆 シサ する。
日本の戦国時代においては、
皇室や、 足利将軍家の権威性が、
争い合う大名らから、 調停者として、
選ばれる要因に成り、
ローマ教皇の権威性を否定した、
宗教改革による、宗教戦争の時代には、
争い合う勢力らから、 調停者として、
選ばれるのに相応しい以上の、
権威性を認められた存在を無くした為に、
徹底した、殺し合いが繰り返される事に成った。
歴史的な権威者や、 宗教的な権威者を無くす事は、
それをした社会の人々にとって、 互いに、
互いを、 徹底した、 実力勝負の泥沼に沈め合う、 リスクを生み出す事になる 】 。
【 足利時代に、 地方へ都落ちをした、
公家員らの幾筋かが、 その落ち着き先の、
地元の豪族らの争い事を調停してゆく内に、
豪族らなどの内情事らを知り深め得もしながら、
彼らを取り仕切る、 大名に成って行った様に 】、
いつの間にか、 ヤスリブの指導者になった。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。